フォークソング・クロニクル

うたと文化の一万年史

第7回 1964年、フォークソングは詠み人知らず?!マヒナスターズとボブ・ディラン!

 富士の高嶺に降る雪も
 京都先斗町に降る雪も
 雪に変わりはないじゃなし
 とけて流れりゃ皆同じ

 「お座敷小唄」詞:不詳 曲:陸奥明 唄:和田弘とマヒナスターズ松尾和子

ビートルズが初めてアメリカの土地を踏み、マルコムXがアフロアメリカン統一機構を結成し、バチカン経口避妊薬の使用を非難する声明。
トンキン湾事件をきっかけにベトナム戦争は激化し、日本では東京オリンピックが催される中、月刊漫画ガロと平凡パンチが創刊し、ゴジラモスラは銀幕の中で高度経済成長の矛盾の象徴として降臨した。
現在は差別を扇動するチャチな連中が青林堂の看板で儲けているが、ほんとうの青林堂は1962年、それまで貸本漫画の出版社をやっていた長井勝一が、白土三平の「カムイ伝」を世に送り出すために設立した。
長井勝一はのちに、高田渡友部正人らがあつまる吉祥寺のライブハウス「ぐわらん堂」によく顔を出した。

 つげ忠男がかっこよくって
 ぼくらは無頼を気取っていた
 材木で目隠しされた青林堂
 そんなぼくらの憧れの場所
 床に積み上げられたつげ忠男
 持っていっていいよと一冊くれた
 しばらくお会いしていませんね
 長井さん

 「長井さん」詞・曲:友部正人 唄:友部正人

代々木のあかつき印刷で文選工として働きながら、高田渡はお兄さんたちの影響でアメリカのフォークソングに傾倒していった。
ある日、音楽評論家の三橋一夫が著した「フォーク・ソング」という本と出会い、渡さんは様々な魅力的な遥かアメリカのシンガーたちへの知識と共感を深める。
そして思想と行動が分離しない渡さんは、アポイントを取らずに三橋一夫を訪ねる。
三橋一夫は1928年に生まれ、滝野川第七尋常小学校澁澤龍彦と同窓だった。東京高等師範学校を卒業後、教師となるが退職、人形劇団プークの文芸部員、雑誌編集者を経て、音楽評論家となった。
「フォークってなんだ」「ぼく、雑音が大好きです」「60年代のボブ・ディラン」と音楽関係の本を書く。
故郷を知らない高田渡は、渡米してピート・シーガーの弟子になろうと腹を決めていた。そのためにまず手紙を送りたいから住所を教えてほしいと三橋さんに言う。
かくして海を越えて手紙はピートの旦那に届けられた。そして返事が返ってくる。きっと渡少年は、英語をまだ話せないことを正直に書いたのだろう。「英語を勉強してからおいで」と、優しい便り。
高田渡は後年、永山則夫の「手紙を書こう」という詩を歌にしている。「宛名のない手紙を書こう」と静寂の中で歌うが、ピート・シーガーからは確かに返事が来たのだ。

 宛名のない手紙を書こう
 いつまでもいつまでも世の中を
 ぐるぐる廻りして還らない

 「手紙を書こう」詩:永山則夫 曲:高田渡 唄:高田渡

浜口庫之助吉田正の弟子として、日本音楽史の継承者たる和田弘。
1954年に結成され、高田渡が8歳にして故郷を旅立った1957年にデビューした「和田弘とマヒナスターズ」。ハワイアンとムード歌謡がかさなる宇宙の爆発点。
そして1964年に、「お座敷小唄」は300万枚以上の大ヒットを起こした。当時流行していたドドンパのリズム感が曲にメリハリをつける。
キャバレーのホステスが口ずさんだ歌のひと節をすかさず聴き取り、楽曲化した和田弘の姿は、まるでアメリカでフォークソングやブルーズを発見し採譜していった人々のようである。
ゲストボーカリストには、松尾和子を迎えた。
そしてその発表された「お座敷小唄」に対して物言いがつくのも、商業作品化された民謡の宿命である。
我こそは「お座敷小唄」の作者であると訴訟が続き、最終的には本物の原作者まで判明する。
フォークソングは詠み人知らず。実際に詠み人がいたとしても、大衆のものとなった瞬間に、精神的な意味における著作権は透明化する。
そして、《フォークソング》と《歌謡曲》が同じ意味の言葉となる。

 あなたの過去など知りたくないの
 済んでしまったことは仕方ないじゃないの
 あの人のことは忘れてほしい
 たとえこの私が聞いてもいわないで

 「知りたくないの」詞:H.Barnes 曲:D.Robertson 訳:なかにし礼 唄:菅原洋一

この年、ボブ・ディランはシングル盤は出していないが、1月13日にアルバム「時代は変る」をリリースした。
激動の時代の中で、若き指導者として支持されながら、当人は同世代との心理的な共有を持っていなかった。
大衆はディランの歌に「いいね!」をしたが、ディランは過去のウディ・ガスリーロバート・ジョンソンに、もっと言えば自分自身に対してのみ「いいね!」をしていたのである。
The Times They Are a-Changin'(時代は変る)」は高石友也によって日本語で歌われた。
「North Country Blues(ノース・カントリー・ブルース)」は、中川五郎がそのメロディに自分自身の悲哀を載せ、「受験生ブルース」として作品にした。そしてそれは高石友也によって明るく軽快な曲調でさらに変化しヒットした。
フォークソングは詠み人知らず。変わり続けながら、風や雨のように人々に伝わっていく。

 Come gather 'round people
 Wherever you roam
 And admit that the waters
 Around you have grown
 And accept it that soon
 You'll be drenched to the bone.
 If your time to you
 Is worth savin'
 Then you better start swimmin'
 Or you'll sink like a stone
 For the times they are a-changin'

 「The Times They Are a-Changin'」詞・曲:Bob Dylan 唄:Bob Dylan

 あなたのまわりをごらんなさい
 あたりの川は水かさを増して
 あなたは水底に沈められ押し流されてゆく
 溺れる前に泳ぎ始めよう
 時代は変わってゆく

 「時代は変わる」詞・曲:Bob Dylan 訳:高石友也 唄:高石友也

時を経て、分裂騒動のあと、2002年に和田弘の前にあらわれた中性的な若者は、田渕純という芸名を受け、マヒナスターズに加入する。
和田弘最後の弟子は、幼い頃から憧れていた師が人の姿から音楽そのものへ昇華するまでの2年間、確かにまさしくマヒナスターズのメンバーだったのだ。
そして田渕純はスナックや酒場を流し、いまはタブレット純としてステージに立っている。
タブレット純さんは、ムード歌謡漫談という新境地を開きながら、音楽の黄金時代を伝承する歌手として貴重な立ち位置で、芸能とは本来何だったのかをその存在感で知らしめている。
しかしいまはそんなことより、1964年の物語だ。

 そんなことより気になるの
 まだ沼袋のアパートにいるんですか
 ちゃんと栄養あるもの食べているんですか
 この問題に答えがあるとしたなら
 そろそろ夕餉のお買いものに行かなくてはなりません

 「そんな事より気になるの」詞・曲:タブレット純 唄:タブレット

昭和を生きた芸人たちの多くが、幼い頃から芸事に親しんでいた。
アンコ椿は恋の花」を歌う都はるみの、虚空より花を掴み取るがごとくスピード感あふれるハイパーメリスマは、それはもう天の声、仏の声、やさしく降りそそぐ甘露の雨のごとしではないか。
何せB面が「恋でゴザンス港町」。ゴザンスなのである。
ゴザンスを前にして我々は歌い踊るしかないじゃないか?!

 三日おくれの便りをのせて
 船が行く行くハブ港
 いくら好きでもあなたは遠い
 波の彼方へ行ったきり
 アンコ頼りはアンコ頼りは
 ああ片便り

 「アンコ椿は恋の花」詞:星野哲郎 曲:市川昭介 唄:都はるみ

「皆の衆」をリリースした村田英雄は、4歳のときから浪曲師だった。
浪曲浪花節はまさに日本のフォークソング
歌うことと語ることは本来、渾然一体とあらねばならない。
劇と語りと節回し、浪曲師とフォークシンガーは同じ形態の芸能と言える。
60年代の日本に暮らすあらゆる人々、そのひとりひとりに、村田英雄は「皆の衆、皆の衆」と語りかける。
もしかしたら「皆の衆」と言えたのは、そんな歌が受け入れられたのは、人間社会を形成するのが個人主義だけではないことを皆がわかっていた時代だからかもしれない。
だいたい、「腹が立ったら空気をなぐれ」である。何たる破壊力。理屈よりも大切なものがある。
副作用ばかりの抗鬱薬より、現代人に必要なのは一編の物語を信じる力である。

 皆の衆 皆の衆
 嬉しかったら腹から笑え
 悲しかったら泣けばよい
 無理はよそうぜ体に悪い
 洒落たつもりの泣き笑い
 どうせこの世はそんなとこ
 そうじゃないかえ皆の衆

 「皆の衆」詞:関沢新一 曲:市川昭介 唄:村田英雄

初めて高田渡が楽器を持った1964年。初めてドレミファソラシドを奏でた1964年。
ウディ・ガスリーのギターには「THIS MACHINE KILLS FASCISTS」と書いたステッカーが貼られてあったが、そうしたメッセージは《生活》を伴ったものだ。そしてその《生活》は底辺の経験を含んだものであり、少年時代の一家離散から始まるガスリーの放浪人生は何よりも人間の《生活》そのものであり、だからこそ歌が生まれた。
「生活の柄」へと紡がれていく、歴史の糸。

 歩き疲れては
 夜空と陸との
 隙間に潜り込んで
 草に埋もれては寝たのです
 所かまわず寝たのです

 「生活の柄」原詩:山之口貘 曲:高田渡 唄:高田渡

 

 

text by 緒川あいみ(れいたぬ)