フォークソング・クロニクル

うたと文化の一万年史

第3回 1960年、哀しみの60年安保!短刀持った山口二矢と新聞配った高田渡

 アカシアの雨にうたれて
 このまま死んでしまいたい
 夜が明ける 日がのぼる
 朝の光りのその中で
 冷たくなったわたしを見つけて
 あの人は
 涙を流してくれるでしょうか

 

 「アカシアの雨がやむとき」詞:水木かおる 曲:藤原秀行 唄:西田佐知子

 

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マメ科ネムノキ亜科のアカシアの花は、日本では関東より北では育たないという。
育たなかった、育てられなかった、咲いたけれども乱暴に踏みつくされ根絶やしにされた、その花がいっせいに雨のなかに散った夕暮れ。
長い年月が流れた。
1970年、「命はひとつ 人生は一回 だから命を捨てないようにね」と加川良が歌った。
1981年、「死ぬのは嫌だ、怖い。戦争反対!!」とコントをした。
2015年、「戦争したくなくてふるえる」と北海道の女の子たちがデモをした。
アカシアの花は、咲きつづけた。

 

 命はひとつ 人生は一回だから
 命を捨てないようにね
 あわてると ついふらふらと
 お国のためなのと言われるとね

 

 「教訓1」詞・曲:加川良 原詩:上野遼 唄:加川良

 

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1960年1月19日、ときの総理、岸信介と、アメリカ大統領アイゼンハワーによって、日米安保の新条約が締結。
同年5月19日、自民党強行採決によって翌日、衆院本会議を通過。
フィクサー児玉誉士夫の掌の上で、自民と右翼とヤクザと左翼と警察の大狂乱。
阿波徳島から八百八狸も、金色の雲に乗ってどろんどろんとあらわれて、上を下への大騒ぎ。
すわ妖怪大戦争かと日本中から百鬼夜行、戦前の小林多喜二幸徳秋水添田唖蝉坊の幽霊も登場だ。
しかし霊界の後方支援もありつつも、左翼の敗北、バタンキュー。
アメリカと日本の関係はいまも同じように続き、現在、岸信介の孫がさらに日本を戦争に近づけている。
ならば、単なる「アベ政治は許さない」なるフレーズでは済まされない、長期的かつ計画的な《悪政のブラックホール》が存在するということだ。
しかし街角の映画館のスクリーンには確かに、「座頭市」シリーズの前身である映画「不知火検校」が映写され、不敵な笑みを浮かべていた。
勝新太郎演じる、生き抜いていくエネルギーの充満した、強き二人。
不知火は悪人であり、市は善人である。
だがどちらにしろ、不知火検校にしろ、座頭市にしろ、60年安保のゴタゴタに巻き込まれたならそのときは、斬って斬って斬りまくるだろう。
「見当つけて、斬ってきな!」

 

 赤い夕日に さすらいながら
 死んだやつらに 子守唄

 

 どこで果てよと 誰が泣く
 知らぬ他国の 蝉がなく

 

 「座頭市子守唄」詞:いわせひろし 曲:曽根幸明 唄:勝新太郎

 

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そんな時代の騒乱をよそに、高田渡一家は何とか深川のアパートに落ち着いていた。
不知火や市がそうしたように、社会がどうであれ、個人は個人としてまず生き延びねばならない。練馬のアパートを出て行き、上野公園近くにあった進駐軍の兵舎、通称カマボコハウス跡を使ったシェルター施設を経て、辿り着いたのは深川の塩崎荘。
このアパートでは、四畳半の部屋を上下に分けて、二家族が暮らしていた。だから、基本的に立つことができない!
渡さんの父である高田豊さんはニコヨンになった。日雇い労働者だ。
小学生の渡さんも、紐に磁石をつけて道を歩いてくっついた金属品を売ったり、新聞配達をしたりした。

 

 僕のアダナを知っているかい
 朝刊太郎と云うんだぜ
 新聞くばってもう三月
 雨や嵐にゃ慣れたけど
 やっぱり夜明けは眠たいなア

 

 「新聞少年」詞:八反ふじを 曲:島津信男 唄:山田太郎

 

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ある配達の朝、山口二矢による社会党浅沼稲次郎刺殺の一面が強く印象に残った。
山口二矢は当時17歳、高田渡より6最年長だ。
赤尾敏大日本愛国党をやめた直後、10月12日、日比谷公会堂で演説する浅沼目掛けて、まるで隠密のごとく素早く壇上へ、そしてナイフで暗殺を決行した。
6月には、同じく社会党河上丈太郎がべつの右翼少年に襲撃されている。
逮捕された山口は、少年鑑別所の監獄で、歯磨き粉で《七生報国 天皇陛下万才》と書いて、自ら命を絶った。
日本の政治的テロルの最後の存在だったのかもしれない。
以降は、野村秋介のように相手を殺さない自決が主流となり、さらにはカルト宗教の妄信的テロルに変わっていく。
極左集団による爆弾テロは何度も起こったが、もはや社会やメディアの関心はそちらにはなく、人の命を奪って世の中を変えるという感覚は、時を経て世間にとって非常識なものでしかなくなった。
そしていまとなっては、思想も何もない、「相手は誰でもよかった」という通り魔やストーカー殺人ばかりになった。
それを「ゆとり世代」などと、上の世代が揶揄し冷笑するのは簡単だし愛がない。そのような言説をとる「団塊の世代」がいたら、優しくないな、と私はケイベツする。
時代が《政治の季節》から《個人の寂しさ》になぜ変わったのか、思いを巡らせる必要はあるだろう。

 

 この世に神様が 本当にいるなら
 あなたに抱かれて 私は死にたい
 ああ湖に 小舟がただひとつ
 やさしくやさしく くちづけしてね
 くり返す くり返す さざ波のように

 

 「愛のさざなみ」詞:なかにし礼 曲:浜口庫之助 唄:島倉千代子

 

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ある日、ガキ大将に怪我をさせられ、渡さんは怒って椅子を振り上げた。そして二人は友達になった。
彼の家に招かれると、そこは在日朝鮮人の集落だった。
渡さんは、貧しく差別されながらも明るく生きる在日コリアンたちの生き様を、しっかりと見た。そうやって高田渡という人物はできていったのだろう。
ああニヒルで達観した高田渡と高田豊には、学生たちの60年安保闘争の騒乱も、山口二矢浅沼稲次郎暗殺事件も、冷めた目で見るしかなかったかもしれない。
いや、11歳の少年にそれは言い過ぎかしら。

 

 我が家でチゲ肴にワイン
 キムチの味 オモニのサイン
 (かっこいいじゃん)そうかい
 (なつかしいじゃん)まあね
 なぜだか故郷みたいさ

 

 「LOVE KOREA」詞・曲:桑田佳祐 唄:サザンオールスターズ

 

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日本各地に反安保の運動はひろがり、6月15日にその盛り上がりは頂点に達した。
渡さんのお兄さんたちはデモに行き、渡さんと豊さんは部屋でラジオを聞いていた。お兄さんたちは帰って来なかった。
18日になって渡さんは父の手に引かれ、デモを《見学》に行った。参加ではなく、見学である。
後年、ライヴで高田渡は「あー、やってるな、って父親と見に行った」と話しているが、自伝「バーボン・ストリート・ブルース」では、「とにかく歩き、わけもわからず叫んだ」と記されている。こちらのほうがリアルだ。
親子は手をつないで塩崎荘に帰った。兄たちは翌朝、戻ってきた。

 

 安保法案 アンポンタン
 違憲の意見を聞きもせず
 今すぐ何かがあるじゃなし
 そんなに急いで何処行くの

 

 平和・平和で 今日まで生きてきた
 他国がうらやむ 平和な国だもの
 安保法案 お前はアウト!だよ~

 

 「安保法案・アウト!」詞:さいたまんぞう 曲:南雲修治 唄:さいたまんぞう

 

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読売アンデパンダン展」で出会った赤瀬川原平、篠原有司男、そしてのちに三鷹天命反転住宅などをつくる荒川修作らが、ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズを結成し、既成の芸術の破壊、《反芸術》を次々と目論んだ。
それは東京都美術館爆破計画にまで行き着く勢いだった。
極左の爆弾テロじゃない。アーティストたちによる美術館テロだ。
実行しなかったとはいえ、インパクトがすごい。
やはり、アートを忘れた政治よりも、政治を取り戻したアートのほうが強固である。

 

 まわる まわるよ 僕らを乗せながら
 まわる まわるよ 地球はメリーゴーランド
 哀しみ歓びすべて乗せてゆくよ
 明日も愉しくまわるよ

 

 「地球はメリーゴーランド」詞:山上路夫 曲:日高富明 唄:GARO

 

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錆びついた鉛みたいな風が吹き抜ける東京のあちこちで、西田佐知子の歌う「アカシアの雨がやむとき」が流れていた。
その歌は、安保闘争に疲弊した学生たちの心境と重なり、支持された。
アメリカではピート・シーガーらによって、「We Shall Overcome(勝利を我らに)」が歌われていたというのに、日本では戦に敗れたあと。
そして闘いは疲弊ののちに何度も繰り返された。70年安保、2015年安保。
その未来をまるで「知ってるつもり?」(by 関口宏)なのか、西田佐知子は「アカシアの雨がやむとき」を歌い、大衆に一時的にカタルシスを与えた。
しかし、11歳の高田渡はすでに知っていたかもしれない。
雨が降ろうが止もうが、空は空であることを。
「このまま死んでしまいたい」なんて感傷的な言葉は、当時の高田渡にどう聴こえたのだろうか。

 

 死んだはずだよ お富さん
 生きていたとは お釈迦さまでも
 知らぬ仏のお富さん
 エーサオー 源冶店(げんやだな)

 「お富さん」詞:山崎正 曲:渡久地政信 唄:春日八郎

 

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安保闘争の中、国会正門前で死亡した樺美智子の葬儀集会に、のちに高田渡と懇意となる詩人、金子光晴の姿があったという。
「アカシアの雨がやむとき」のB面の「夜霧のテレビ塔」は、時空を超えて、赤、青、と点滅し、小さき者たちの死を悼む。
東京タワーは、戦後の瓦礫と戦車を溶かした鉄でつくられた供養塔だ。
そして竹中労は、安保闘争の裏通り。
芸能人、皇族、死者とあらゆる人物の手記をひたすら代作していた。

 


text by 緒川あいみ(れいたぬ)

*参考図書
高田渡「バーボン・ストリート・ブルース」(山と渓谷社

 

☆次回予告
第4回は、「1961年、浄土真宗はジャズ!?クレージーキャッツと高度成長」です。

 

(この連載は、ホームページに書いている「フォークソング・クロニクル」のはてなブログ版です。
この第3回は http://morinokaigi.chu.jp/f-chronicle/3_1960 のコピーです)