第9回 1966年、最初のフォークシンガー登場!そしてあらゆる価値観の音楽が交差する
1966年、最初のフォークシンガー登場!そしてあらゆる価値観の音楽が交差する
ザ・ビートルズが来日した1966年。
ウルトラマンが放送開始、サッポロ一番しょうゆ味が発売、週刊プレイボーイが発刊。
常磐ハワイアンセンターに夕陽が沈むとき、煙草のわかばを吸っていたのは、人口が1億人を突破した日本人のうちの誰かだろう。
フォークソングとは何か。
「フォークソング・クロニクル」では、この世のすべての歌をフォークソング(=みんなのうた)としつつ、多義的ではあるが、アメリカのフォークソングに影響を受けて日本語で歌い出した人々をフォークシンガーと定義する。
昭和41年、尻石友也という名の青年が、7月に大阪のYMCAでギターを持って歌った。
演歌師の添田唖蝉坊の歌や、丸山明宏の「ヨイトマケの唄」を弾き語っていた。
アメリカのフォークソングの精神を受け継ぎながら、日本ではこういう歌が民衆の歌なのだと理解するその過程は、性格こそまったく違うが、高田渡とよく似ている。
10月の「第2回フォーク・フォーク・フォーク」で、アートプロモーションの秦政明に発見され、二人はタッグを組んだ。
そして高石友也として12月20日に、「かごの鳥ブルース」でレコードデビューする。
彼は労働者であった。
高石友也は、労働者だからフォークソングを歌ったのだ。
8歳で故郷を離れた高田渡だからこそ、アメリカのフォークソングを受信したように。
すべての個人の出自は、世界を紡ぐためにある。
かごの鳥でも 翼があれば
飛んでゆきたい 青い鳥
それもかなわぬ わたしゆえ
ああ 涙もかれて かごの中
「かごの鳥ブルース」詞:水島哲 曲:不詳 唄:高石友也(1960 / ビクター)
半ば詠み人知らずの歌に、抑圧された民衆の心情を重ねあわせている。
秦政明は高石音楽事務所を設立。フォークソング運動が始まる。
高石音楽事務所には、ザ・フォーク・クルセダーズ、岡林信康、中川五郎、五つの赤い風船、高田渡、遠藤賢司、ジャックスといった癖のあるシンガーたちが所属していき、のちに音楽舎と名を変える。
1969年には日本で最初のインディーズのレコードレーベル、URC(アングラ・レコード・クラブ)が発足。
資本主義も、既成概念も、そしてレコ倫を向こうにして、高田渡や友部正人や加川良やはっぴいえんど、とにかくすごいフォークや日本語ロックがレコード化された。
しかし、秦政明とシンガーたちのあいだには、世代的なずれもあった。
赤いキャデラックに乗り、黒メガネをかけた、マネージャーらしいマネージャー。
馬主であり、馬に「シングアウト」と名前をつける。シングアウトとは、歌手も客もみんなで歌うこと。
のちに経営するスナックの店名は「クルセイド」。ザ・フォーク・クルセダーズでひと儲けしたからだ。
うたごえ運動の世代と、戦後まもなくに生まれたフォークシンガー世代とは、社会に対するファイティングスタイルが違うということかもしれない。
高田渡は、ギャラ支払いに関する不正に抗議して、事務所をやめている。
愛と平和を歌う世代がくれたものは
身を守るのと知らぬそぶりと悪魔の魂
隣の空は灰色なのに 幸せならば顔をそむけてる
「真夜中のダンディー」詞・曲:桑田佳祐 唄:桑田佳祐(1994 / ビクター)
この同じ年、一方で、和製フォークと呼ばれた人たちもいた。
モダン・フォーク・カルテットのマイク眞木は、ソロ名義で「バラが咲いた」を発表した。
ブロードサイド・フォーは、テレビドラマの主題歌として「若者たち」を発表。
あるいは翌年には、森山良子が「今日の日はさようなら」でレコードデビュー。
何をもってフォークソングとするかは、つねに命題的な疑問として横たわってきた。
アコースティックギターを弾きながら歌を歌えば、それはフォークソングなのか。
そもそもフォークソングとは民謡という意味である。
ならばアメリカでフォークソングやブルーズが発生していった歴史に敬意を持ちつつ、日本に暮らす表現者が独自のスタイルに昇華させたものをこそ、フォークソングというべきではないのか。
しかし、そんなことを言っても、ギターを持って歌う者たちは、あまねくフォークシンガーと呼ばれてきた事実があるのである。
立川談志の言う通り、《現実は事実》なのだ。
いまも昔も変わらないはずなのに
なぜこんなに遠い
ほんとのことを言ってください
これがボクらの道なのか
「これがボクらの道なのか」詞・曲:西岡たかし 唄:五つの赤い風船(URC)
ただし高田渡は、「和製フォーク」と称されたマイク眞木、黒澤久雄、森山良子といった人たちを、お坊ちゃんたちと揶揄した。
実際、マイク眞木は舞台美術家の真木小太郎の、黒澤久雄は映画監督の黒澤明の、森山良子はジャズトランペッターの森山久の、それぞれ子供である。
生まれのことを言うのはよくないが、しかし、アメリカのフォークシンガーたちが持つ泥臭さや社会性に対しての共感はあまりなかったのではないか。
それよりも、バンドやオーケストラがなくとも、ギター一本で歌手という表現ができるということに、かっこよさを見たのではないか。
8歳で故郷を捨てた高田渡が、ウディ・ガスリーやピート・シーガー、ジョーン・バエズ、そして初期のボブ・ディランに傾倒したのとは、まったく趣きが異なる。
いや、高田渡ほどの出自ではなくとも、フォークソングに憧れたほとんどの若者たちは、マイク眞木や森山良子になれるわけもなく、もっと街の埃風の中で自分の表現を探していたはずである。
だから、60年代後半に、商業的なシーンで光のあたった和製フォークと、何かが変わるかもしれないという空気の中で自然発生的に勃興した関西フォーク、そしてそれに続いた世代とが、存在したのだ。
湘南ボーイのおぼっちゃまのようによ
俺たちもエレキがほしかったんだよ
それこそやっとのバイトで買えたのが
2500円のフォークギター
「フォークシンガー」詞・曲:なぎら健壱 唄:なぎら健壱(1983 / CBSソニー)
この「フォークソング・クロニクル」では、この世のすべての歌はフォークソングとしつつも、ウディ・ガスリーやピート・シーガーやボブ・ディラン、URCやベルウッド、全日本フォークジャンボリーや春一番コンサートといった事柄を語るときは、多義的になってしまうが、やはり高田渡のような人をフォークシンガーと呼ぶことにしたい。
マイク眞木も森山良子も日本ポップス史に名を刻むシンガーではあるが、あるいは南こうせつやさだまさしや松山千春といった歌謡曲的価値観の中で活躍するシンガーもいるが、しかし、高田渡のような土着性を持った歌い手たちが確かに存在する以上、フォークシンガーという呼称は高田渡のような者のためにあると思う。
あまり呼称や分類にこだわることは差別に繋がるが、いま一度、フォークという言葉の意味について考えるきっかけをつくるために、長々と書いてしまった。
緒川あいみ、差別はよくない!差別はやめろ!
そうだ、歌を歌う人はみんなフォークシンガーなんだ。
美空ひばりも、三橋美智也も、桑田佳祐も、忌野清志郎も、森高千里も、添田唖蝉坊も、この世に生きる人はみんな、歌を歌っているのである。
歌も楽しや 東京キッド
いきでおしゃれで ほがらかで
右のポッケにゃ夢がある
左のポッケにゃチュウインガム
空を見たけりゃビルの屋根
もぐりたくなりゃマンホール
「東京キッド」詞:藤浦洸 曲:万丈目正 唄:美空ひばり(1950 / 日本コロムビア)
かくして60年代後半のフォークソングの時代が始まった。
それは日本語ロックや、あるいは社会運動とともに進んだ。
そしてわずか数年のうちに、商業主義にフォークソングなる概念を換骨奪胎されてしまった。
しかし、最初のフォークシンガーたちは歌い続けた。
何もかも昨日のつづき
人生はさっぱりするときがない
ああ いつになったら
うっとうしい色恋沙汰がなくなるのだろう
さもなければカネの話
いつになったら
人の腹を汚す そんなこすっからい
目つきがなくなり
自分勝手の正義を振り回さずに済むのだろう
いつになったら法律がなくなるのだろう
「いつになったら」原詩:金子光晴 曲:高田渡 唄:高田渡(1972 / ベルウッド)
美川憲一が「柳ヶ瀬ブルース」を唄い、西郷輝彦が「星のフラメンコ」を唄っていた。
園まりは、最初の「夢は夜ひらく」。
GS(グループ・サウンズ)バンドも続々と活動を始めた。
60年代後半は、様々な価値観の音楽が交差していった瞬間だ。
しかし、ただ言えるのは、荒木一郎が「空に星があるように」と唄ったところで、高石友也や岡林信康や高田渡にとって、星どころの話ではなかったのである。
履き違えられた個人主義と安易に消費されるコンテンツの氾濫する現代からはもはや靄の向こうのまぼろしだが、ばかげた高度経済成長の中で、確かに文化があったのだ。
6月22日、三里塚闘争、はじまる。いまも闘いはつづく。
ふりむかないで
お願いだから
いつも腕をくみ
前を向いて きっとね
しあわせ つかみましょ
「ふりむかないで」詞:岩谷時子 曲:宮川泰 唄:ザ・ピーナッツ
そういえば、映画「タカダワタル的」が上映されているとき、私はテアトル新宿で、高田渡に会いに来た高石友也を見たことがある。
そのときはすごく鋭い顔をしていた印象だったが、その後、私もお世話になった京都のフォークシンガー、藤村直樹のさいごのライブにあらわれた高石友也は笑顔をほころばせていた。
きっと高石友也と高田渡は、かんたんにはステージで共演できない、親分同士だったのだろう。
人間、器が大きいことに越したことはない。
It’s been a hard day’s night,
and I’d been working
like a dog
It’s been a hard day’s night,
I should be sleeping
like a log
But when I get home to you
I find the things that you do
Will make me feel alright
「A Hard Day’s Night」lyric & music by Lennon &McCartney song by The Beatles
最初のフォークシンガー高石友也の登場の至近距離で、アマチュアのフォークバンド、ザ・フォーク・クルセダーズがこの世のすべてを歌でまじめに茶化していた。
昭和41年が暮れる。
text by 緒川あいみ(れいたぬ)
*参考図書
「雲遊天下」34(ビレッジ・プレス)
☆次回予告
第10回は、「」です。