第6回 1963年、長崎外人墓地を唄う春日八郎、東京五輪を唄う三波春夫、海の向こうはワシントン大行進!
恋の涙か 蘇鉄の花が
風にこぼれる 石畳
うわさにすがり ただひとり
尋ねあぐんだ 港町
ああ ああ 長崎の女
「長崎の女」詞:たなかゆきを 曲:林伊佐緒 唄:春日八郎
昭和38年。
レコードプレーヤーに針を落とせば、春日八郎が長崎外人墓地に物語を彩らせていた。
1954年に「お富さん」が大ヒットした春日八郎の、この年の名曲だ。
朗々としたうたごえが、聴く者の脳内にドラマを浮かび上がらせる。
ブラウン管の中では鉄腕アトムが近未来を飛翔していた。日本で最初の国産テレビアニメだ。
手塚治虫のアニメーションづくりのスタイルは、現在の低賃金の過酷な労働状況へと繋がり、宮崎駿は折にふれ批判してきた。
そしてそれは手塚治虫が最も身にしみていたことだった。「フィルムは生きている」ことを知っているのは、漫画の父でありアニメーションの父でもある手塚自身なのだから。
しかしアトムはまさに戦後日本の、そして21世紀日本を象徴するようなキャラクターだ。
みずからが原子力で稼働し、なおかつ人間の行き過ぎた科学に対し、その身をもって警告している。
当時の日本人はみんな、原子力を未来の素晴らしいエネルギーと信じていた。
原子爆弾で滅ぼされた国家を、原子力発電で取り返そうとしたのか。
主題歌を作詞したのは、詩壇のポップスター谷川俊太郎。
空をこえて ラララ
星のかなた
ゆくぞ アトム
ジェットのかぎり
心やさしい ラララ
科学の子
十万馬力だ
鉄腕アトム
「鉄腕アトム」詞:谷川俊太郎 曲:高井達雄 唄:上高田少年合唱団
春日八郎の歌はものすごくうまい。
外人墓地の路地を歩いている誰かの像が、くっきりと立ち現れる。
かつて、歌とは物語だったのだ。
アジアの端に位置する島国たる日本は、古来より海の向こうから森羅万象を享受してきた。
外人墓地に眠る多くの人々が描いた人生のストーリーも、稲作文化も、仏教も、キリスト教も、ジャズも、コメディも、ロックンロールも、フォークソングも、すべては海の向こうからもたらされた。
「長崎の女」、素晴らしい一編の歌。
「長崎は今日も雨だった」がリリースされるのは1969年。
まだ長崎の石畳に雨は降っていない。
墓地を濡らすのは、涙だけ。
あなたひとりに かけた恋
愛の言葉を 信じたの
さがし さがし求めて
ひとり ひとりさまよえば
行けどせつない 石だたみ
あゝ 長崎は今日も雨だった
「長崎は今日も雨だった」詞:永田貴子 曲:彩木雅夫 唄:内山田洋とクールファイブ
"I have a dream!!"
8月28日、キング牧師が聴衆に叫んだ。
人種差別撤廃を願うワシントン大行進は、20万人を超える参加者でいっぱいだ。
リンカーンの奴隷解放宣言から100年経っても、黒人差別は依然としてあった。
ジョーン・バエズ、ピーター・ポール&マリー、ハリー・ベラフォンテら歌い手たちも参加した。
その中に、ボブ・ディランも当然いて、朴訥として気難しい表情をした彼の弾き語りは、差別を憎む大衆に受け入れられた。
しかしディランは、その場においては確かにプロテストシンガーだったが、実際はどのような役割や枠組みにも収まりきらないスピリットを持ったポップスターだった。
そのジレンマや世間との心理的な乖離は、数年後の日本で岡林信康がよく似た経験をすることになる。
大衆はスターを求めている。
しかしスターは大衆だけでは満ち足りない。
ディランの「風に吹かれて(Blowin' in the Wind)」は、ベトナム戦争下において世界を席巻したシンプルな名曲だが、ここではそのB面の「くよくよするなよ(Don't Think Twice, It's All Right")」を聴いてみたい。
この曲は、友部正人が日本語に意訳して歌っている。
いまさら名前を呼ばないで
呼んだことなんてないでしょ
いまさら名前を呼ばないで
呼んでももう聞こえない
決心するまでにはずいぶん悩んだわ
一度は好きになった男
心までは愛しても魂までは無理だった
でももうあんまりくよくよしないでね
「Don't Think Twice,It's All Right」詞・曲:Bob Dylan 訳:友部正人 唄:友部正人
野村秋介が河野一郎邸に火をつけた。
新右翼のボス、一度目の逮捕。
「俺に是非を説くな 激しき雪が好き」。野村の詠んだ、拳銃から弾き出されたような強烈で無駄のない句だ。
のちに出所した野村秋介は今度は経団連事件を起こし、最期には朝日新聞社で自決する。
あるいは年の暮れに、力道山は赤坂のナイトクラブで刺されるのである。
テレビのスイッチをひねれば、相変わらず、坂本スミ子が「夢であいましょう」とささやいている。
夢であいましょう
夢であいましょう
夜があなたを抱きしめ
夜があなたに囁く
うれしげに 悲しげに
楽しげに 淋しげに
夢で 夢で
君も 僕も
夢であいましょう
「夢で逢いましょう」詞:永六輔 曲:中村八大 唄:坂本スミ子
春日八郎もキング牧師もボブ・ディランも野村秋介も力道山も、みんな夢で逢えたのだろうか?
ただ三波春夫は、翌年に開催されるオリンピックを寿ぐように、「東京五輪音頭」なんて朗らかに歌ってた。
赤瀬川原平たちハイレッドセンターが、都市の舗道をごしごし洗浄しているのも知らぬげに。
前衛的な赤瀬川たちの活動は、赤瀬川原平の「全面自供!」に詳しい。
しかし、厳しいシベリア抑留を経験した偉大なる大衆歌手である三波春夫は、ほんとうに心の底から世界の平和を祈願して「東京五輪音頭」を歌っていたに違いないのだ。
芸能と芸術が、ずれを生じさせてきた。
日本のフォークソングが生まれる夜明け前。
ハアー 待ちに待ってた世界の祭り
(ソレ トトントネ)
西の国から東から
(ア チョイトネ)
北の空から南の海も
こえて日本へどんときた
ヨイショ コーリャ どんときた
オリンピックの晴れ姿
ソレトトント トトント 晴れ姿
text by 緒川あいみ
*参考図書
☆次回予告
第7回は、「」です。