フォークソング・クロニクル

うたと文化の一万年史

第5回 1962年、て~なもんや!街道筋の藤田まこととニューヨークのボブ・ディラン

 雲と一緒に あの山越えて

 行けば街道は 日本晴れ
 おいら旅人 一本刀
 「お控えなさんせ」「お控えなすって」
 腕と度胸じゃ 負けないけれど
 なぜか女にゃ チョイと弱い

 

 「てなもんや三度笠」詞:香川登志緒 曲:林伊佐緒 唄:藤田まこと

 

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ジャニーズ事務所がつくられ、若乃花が引退し、リポビタンDが発売された。
ベトナム戦争の激化、高度経済成長のニッポンから戦闘機が飛んでいく。
秋にはキューバ危機であわや世界核戦争の瀬戸際。
昭和37年。
テレビでは、お笑いがしっかりコメディしていた。
澤田隆治の演出、香川登志緒の脚本。
素晴らしき時代劇喜劇がブラウン管にあらわれる。
あんかけの時次郎こと藤田まこと、珍念の白木みのるが、街道筋をドカドカ歩く。
当たり前田のクラッカー!
でもVTRがまだ高価だった時代で、映像は一部のみ残されている。
最高視聴率64.3%!
てなもんや三度笠」の放映終了後も、「てなもんや一本槍」「てなもんや二刀流」という続編があった。
映画はモノクロが2つ、カラーが3つ制作された。
ぼくはずっと前、シネマ下北沢で1963年上映の「てなもんや三度笠」を観ました。若い日のエキセントリックな財津一郎さんが印象的だった。

 

 ピアノ売ってちょうだい
 もっとも~っとタケモット
 (もっと)でんわしてちょうだい
 もっとも~っとタケモット

 

 「タケモトピアノの歌」詞:北川勝利 曲:谷本奈利絋 唄:財津一郎&タケモット

 

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藤田まことは映画俳優、藤間林太郎の息子としてうまれた。
進駐軍の靴磨き、映画俳優、司会者、歌手、そしてコメディアン。
てなもんや三度笠のあんかけの時次郎から、必殺シリーズ中村主水、はぐれ刑事の安浦刑事剣客商売の秋山小兵衛まで。
笑っていいとも!」のコーナーゲストに出演した際、タモリさんが「藤田さんはコメディアンの大先輩ですから」と紹介すると、顔を俯かせ、「コメディアンのなり損ないです」とおっしゃった。
あんかけの時次郎が渡世人として東海道を旅したように、藤田まことも戦後芸能史の旅をしたのだ。
藤田まことが芸能史の中で島田正吾勝新太郎中村敦夫とすれ違ったように、あんかけの時次郎も東海道国定忠治座頭市木枯し紋次郎とすれ違ったのだ。

 

 「おれたちゃナ、ご法度の裏街道を歩く渡世なんだぞ。
 いわば天下のきらわれもんだ…」

 

 およしなさいよ 無駄なこと
 いって聞かせて そのあとに
 音と匂いの 流れ斬り
 肩もさびしい 肩もさびしい

 

 「座頭市」詞:川内康範 曲:曽根幸明 唄:勝新太郎

 

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そしてテレビは世の中に普及されていく。
この年、日本のテレビ受信者が1000万人を超えた。
そして東京都の人口も1000万人を突破した。
サラリーマンではないクレージーキャッツが、高度経済成長を支えるサラリーマンの悲哀を歌と笑いに昇華する。
クレージーキャッツは、フロントマン植木等のソロ名義で「無責任一代男」「これが男の生きる道」をリリース。バンド名義では「ドント節」で、B面の「五万節」がヒットした。
そして「無責任一代男」のB面「ハイそれまでョ」もヒット、NHK紅白歌合戦に出演している。
映画は「ニッポン無責任時代」と「ニッポン無責任野郎」がスクリーンに掛けられた。
はてさて、21世紀もいくらかを過ぎ、世は責任と理屈の時代。
人々が自ら病気になろうとしているかのような、常識地獄が渦巻いている。
無責任さや非常識さに元気をもらうなんて、頭がおかしいと言われかねない。
しかし人間の脳はそんな数十年では変わらない。
考え過ぎないで素直に突き進む、これに勝る生き方はないのである。
謎のサラリーマン平均(たいらひとし)が東京タワーのてっぺんで笑ってる。

 

 おれはこの世で一番
 無責任と言われた男
 ガキの頃から調子よく
 楽してもうけるスタイル

 

 「無責任一代男」詞:青島幸男 曲:萩原哲晶 唄:植木等

 

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ミネソタうまれのロバートは歌ってた。
ニューヨークにやって来てコーヒーハウスで歌ってた。
3月19日、1枚目のアルバム「ボブ・ディラン」が発売された。
1曲目の「You're No Good(彼女はよくないよ)」は、ジェシー・フラーの曲。若林純夫がソロや武蔵野タンポポ団で歌ったサンフランシスコ湾ブルース」の原曲をつくった人だ。
そして、「Talkin' New York(ニューヨークを語る)」はトーキングブルース、「House of the Risin' Sun(朝日のあたる家)」でトラディショナルな歌の担い手となり、「See That My Grave Is Kept Clean(僕の墓をきれいにして)」は戦前のブルースマンであるブラインド・レモン・ジェファーソンの歌、
「Song to Woody(ウディに捧げる歌)」では敬愛する偉大なるフォークシンガーのウディ・ガスリーに詩を捧げる。
そうだ、ディランはフォークシンガーの末っ子だったんだ。
そしてウディは病院で療養している。
1940年代から度々の誤診の中で、闘病をつづけていた。
高田渡が憧れたゴッドファーザー・オブ・フォークソングは、1967年、永眠する。
ちょうど日本で独自のフォークシンガーたちがあらわれた頃だ。

 

 Hey, Woody Guthrie, but I know that you know
 All the things that I’m a-saying an a-many times more
 I’m a-singing you the song, but I can’t sing enough
 Because there’s not many men that done the things that you’ve done

 

 「Song to Woody」詞・曲:Bob Dylan 唄:Bob Dylan

 

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師はいつも、遠くにいる。
ぼくは高田渡さんが大好きで、三鷹に住んで、晩年という言葉は寂しいけれど、渡さんのさいごのほうのライブに通っていた。
ついにぼくは、いちばん尊敬する人に声はかけないままだった。
声をかける必要がなかったのかもしれない。
間近で見た渡さんの瞳の色はグレーで、どこか世界の深淵を見ているようだった。
彼にはどんなふうに、この世界が見えていたのだろう。
彼にはどんなふうに、出会う人たちの姿が映っていたのだろう。
加川良高田渡の本質を見事に語り歌っている。

 

 何がいいとか悪いとか そんなことじゃないんです
 たぶん僕は死ぬまで 彼になりきれないでしょうから
 ただその歯がゆさの中で 僕は信じるんです
 唄わないことが一番いいんだと 言える彼を

 

 「下宿屋」詞・曲:加川良 唄:加川良

 

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週刊少年サンデーで、赤塚不二夫の「おそ松くん」と「ひみつのアッコちゃん」が連載開始。
2001年に出版された対談集「バカは死んでもバカなのだ」で、唐十郎は赤塚にこう語り出す。
「いまのバーチャル空間は『おそ松くん』だと思います」
「『おそ松くん』はデジタル空間。アナログではない」
「壊れない世界でしょう。で、あそこからEメールが送られてくる」
しかし赤塚は、パソコンとかに一切興味を示さないのだった。

 


text by 緒川あいみ(れいたぬ)

*参考図書

 

☆次回予告
第6回は、「」です。