フォークソング・クロニクル

うたと文化の一万年史

第4回 1961年、浄土真宗はジャズ!?クレージーキャッツと高度成長

 チョイと一杯のつもりで飲んで

 いつの間にやらハシゴ酒

 気がつきゃホームのベンチでゴロ寝

 これじゃ身体にいいわきゃないよ

 分かっちゃいるけどやめられねぇ

 

 「スーダラ節」詞:青島幸男 曲:萩原哲晶 唄:ハナ肇とクレージーキャッツ

 

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「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。
 しかるを世の人つねにいはく、
 『悪人なほ往生す、いかいいはんや善人をや』」

親鸞は、法然上人の説いた浄土往来の教えのさらに先へ辿り、より深く世界の真理を獲得していく。
それがのちに浄土真宗と呼ばれるようになるが、ところで浄土教キリスト教はよく似ている。
悪人正機と原罪。創造主と阿弥陀仏神の国と極楽浄土。
人間の力など大したことはない。他力本願。すべては神様、仏様の名において。
法然の家はユダヤからの移民である秦氏とされており、親鸞西本願寺に保存されていたキリスト教ネストリウス派の経典「世論布施論」を読んでいた。
一遍もまた秦氏であり、「南無阿弥陀仏」とさえ唱えれば誰でも極楽浄土へ行けるのだと説き、被差別階級の民を救済した。
さらに遡れば、空海最澄遣唐使として大陸に渡ったとき、景教と呼ばれていたキリスト教ネストリウス派の洗礼を受けたとされている。
もしかしてURC、音楽舎の秦政明も秦氏の末裔なのかもしれない。
日本列島がアジアの端に位置するのは、それなりの意味がある。
アジアで生まれ、醸成されるあらゆる文化が、陸を伝い、最後は日本海を超えてやって来る。そして島国特有の《多様な文化をごちゃまぜにしてさらに新しいものに変化させる》という錬金術のごとき文化の変革が、自然の流れの中で行われる。
宗教がそうならば、音楽もやはり同じで、古来よりアジアの恩恵に預かりながら、この国ではいろとりどりの歌がうまれてきた。
そして第二次世界大戦後は、多くのバンドやコメディアンが進駐軍のキャンプやジャズ喫茶で腕を磨いた。

 

 レディス&ジェントルメン
 おとっつぁん&おっかさん
 おこんばんは!

 

 「レディス&ジェントルメン」詞・曲:トニー谷 唄:トニー谷

 

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1955年にハナ肇キューバン・キャッツというバンドを結成し、それが翌年に「ハナ肇とクレージーキャッツ」と名を改めた。
バンドのフロントマンとなる植木等は、「萩原哲昌とデューク・オクテット」「植木等とニュー・サウンズ」「フランキー堺とシティ・スリッカーズ」を経て、クレージーキャッツに加入。当時はバンド間の移籍や引き抜きが非常に多かった。
リーダーはドラムスのハナ肇。そして、ボーカルとギターの植木等トロンボーン谷啓、ベースの犬塚弘、テナーサックスの安田伸、ピアノが石橋エータロー桜井センリ
植木等さんの実家は浄土真宗のお寺で、植木さん自身もバンドボーイになる前は修行にいそしみ、お父さんが警察に捕まったときはかわりに法衣をまとった。
父、植木徹誠は、浄土真宗大谷派の僧侶で、そして元々はキリスト教徒。さらに水平社などの部落解放運動に参加し、共産党員でもあった人だ。
ただの住職ではおさまらない、燃えるように生きた、行動の人だ。
1988年に鎌倉の円覚寺植木等が父についての講演をした際、その演題は「支離滅裂」というものだった。
キリスト教浄土真宗、部落解放運動、社会主義革命、義太夫語りへの夢、そして恋。
一般的な感覚で見たら、植木徹誠の思想と行動は支離滅裂なのかもしれない。けれど彼は本質的かつ実直なアクティビストだ。まるで高田渡の父、高田豊を想起させる。
小さな北鎌倉駅を下車してすぐ目の前にある、鎌倉五山二位の瑞鹿山円覚寺。かつて坐禅に敗北してうなだれた透明の夏目漱石も、時空を超えて。たのしく聴講したことだろう。

 

 古都を見下ろして 長谷へと下る
 旅路切り通しよ
 そこに行き交う
 "今生きる"も "今は亡き"人も
 遥かな時代(とき)を夢見て越えて
 訪れる砦

 

 「古の風吹く杜」詞・曲:桑田佳祐 唄:桑田佳祐

 

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金子光晴といい、第二次大戦中に戦争に反対した人たちに、凄まじい気骨とオリジナリティを感じる。
本間建彦さんの著作「高田渡と父・豊の『生活の柄』」によると、高田家三代が戦争から逃れようとしたことがわかる。
高田渡の祖父である高田馬吉も、西南戦争の折、ほかの家の養子となった。次男になれば徴兵を逃れられたからだ。しかしそこの家族と折り合いがつかず、高田家に戻ってきてしまい、結局、徴兵されてしまったというのは、何とも人間的で、渡さんのおじいさんらしいエピソードだ。
渡さんの父、高田豊も、第二次大戦の折、京都の出版社の弘文堂を退職し、財団法人日本海事新聞の編集局の校正主任となった。内閣情報局の管理下にあるところに勤めることで、戦場行きを免れた。
からして、高田渡がアイロニカルな「自衛隊に入ろう」で実質的なデビューを飾るのは必然だったのだろう。

 

 たばこを吸いながら 劣等生のこのぼくに
 すてきな話をしてくれた ちっとも先生らしくない

 ぼくの好きな先生
 ぼくの好きなおじさん

 

 「ぼくの好きな先生」詞:忌野清志郎 曲:肝沢幅一 唄:RCサクセション

 

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竹中労甲府刑務所収監、ルポライター事始めを経て、この1961年に日本共産党に再復党している。内部変革を狙ったためだ。
一方で、野村秋介は網走刑務所を出所、三上卓との知己を得て、憂国同志会を結成する。
映画館のスクリーンには今村昌平の「豚と軍艦」が描き出され、ブラウン管からは「シャボン玉ホリデー」の夢が展開されていた。
クレージーキャッツの面々は、まこと破廉恥なジャズマンでありコメディアンであるのに、満員電車に揺られて出勤するサラリーマンのふりをし、高度成長を支える全国の9時から5時の勤め人を、明るく軽薄に鼓舞した。
芸能が豊かに展開される時代は、政治も激しく展開される時代だった。
一方でナンセンスコメディの世界があって、一方でアナーキズム新右翼の火種がおこされた。
クレージーの初の大ヒット曲となる「スーダラ節」が発表される前に、生真面目な植木等は徹誠さんにその歌詞を見せ、相談した。「わかっちゃいるけどやめられない」というのが、み仏の教えに反しているのではないかと気になったのだ。しかし植木徹誠は歌詞を見るなり言う。
「これは真宗の教えそのものだ!」
おそるおそる「スーダラ節」を歌った息子に対し、涙を流して感動し、激励する。
親鸞は90歳まで生き、仏僧としてタブーであることを何でもやった。これでいいのだ!

 

 これでいいのだ これでいいのだ
 ボンボンバカボン バカボンボン
 天才一家だ バカボンボン

 

 「天才バカボン」詞:東京ムービー企画部 曲:渡辺岳夫 唄:アイドル・フォー

 

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深沢七郎の発表したブラックユーモア小説「風流夢譚」において、日本に革命が起き、天皇皇后や皇太子らが斬首させられるという箇所に、右翼少年が激怒した。
事件は2月1日。
小森一孝は、前年の浅沼稲次郎暗殺事件の犯人、山口二矢と同じく17歳の少年だった。しかも大日本愛国党をやめた直後の犯行というのも共通している。
しかし決定的に違うのは、一般人の命を奪ったことだ。小森は「風流夢譚」が掲載された中央公論社の社長、嶋中鵬二の自宅に押しかけた。だが当の社長は不在だったため慌て、奥さんを刺して重傷に、お手伝いさんを殺めてしまう。
だから山口は烈士として祀られても、小森は右翼史から半ば抹消される。
12ページのナンセンス小説だった。
右も左もユーモアをしばしば理解できない。
そして付け加えておくべきは、この「風流夢譚」を絶賛していたのは、山口二矢と同じように現在、烈士として称えられている三島由紀夫であるということだ。
そして自分が書いたものが原因で、人を死なせてしまった失意の深沢七郎は、しばらくの旅に出る。
逃亡と彷徨の旅路の中で、エルビス・プレスリーの声は遥か異国の奇妙な作家を元気づけていたのだろうか。

 

 Love me tender,
 Love me sweet,
 Never let me go.
 You have made my life complete,
 And I love you so.

 

 「Love me tender」詞:Ken Darvy 曲:George R. Poulton

 

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1961年8月20日。「スーダラ節」リリース。
当初は「こりゃシャクだった」がA面で「スーダラ節」はB面だったが、人気によって逆転した。青島幸男の歌詞が流れるように展開する。
詞と曲と唄と音、すべてのパフォーマンスが一体化していき、ショーは最高潮に達し、そうして一億人の人生の悲哀は報われる。笑いという最善の浄化をもって。
クレージーキャッツ添田唖蝉坊の系譜だ。洗練された強烈なユーモアで世間を風刺する。その唖蝉坊のまた異なる系譜としての高田渡がいて、一方で歌謡曲は華やかだし、GSもいて、何ともはや60年代は芸能歌舞音曲の異常事態である。
芸術と政治と宗教と風俗と、人間がつくり出すあらゆる事象が、カテゴライズされながらも交差し混ざり合うことが当然だった時代に、クレージーキャッツは背広を着たサラリーマンの姿をして異界から登場した。
ジャズで培われた音楽性と、ナンセンスの青島イズムと、浄土真宗がひとつになって、すべてをウソに、すべてをホントに、そしてそべてを無意味化する。コメディには、音楽には、これほどまでの力がある。
植木等の「等」の名は、すべての人は平等であるという、徹誠の意志と闘いのあらわれだった。

 

 通勤電車の中で 赤ん坊の笑いが走る
 誰も負けてしまうその流れ
 ぼくの前をゆらゆら
 負けんぞと笑いを投げても
 包まれ悲しくなって叫ぶ
 赤ん坊さんよ負けるなよ

 

 「赤ん坊さんよ負けるなよ」詞・曲:岩井宏 唄:岩井宏

 

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池田勇人中曽根康弘に「やっぱり日本も核を持たないとダメだね」と言った。
ケネディを暗殺したのはおそらくCIAだが、CIAは当時の岸内閣および池田内閣に秘密資金を送っており、日本政界工作を図っていた。
テレビのブラウン管では、初代林家三平が「どーも、すいません!」と手を額に当てて笑っていた。寄席では毎回、ストーリーがめくるめく逸脱する、徹底的なナンセンスを体現していた。
日米政府の数十年におよぶクダラナイ政治と、林家三平クレージーキャッツが魅せていた常識を突破する捉えようのないほどの力を示す笑い、どちらが人間の救いなのでありましょうか!?
21世紀もいくらかを過ぎたいま、世の中を嘆き、体制や権力に問題意識を掲げ、拳を高く上げる人は多い。じつに頼もしいことである。しかし同時に、ナンセンスもロックンロールもブルーズも理解されにくい、理屈と常識ばかりの窮屈な時代にもなっている。
と、こんな文面もまた、意味に縛られた戯れ言である。
唖蝉坊、クレージー、これでいいのだ、ハナモゲラサザンオールスターズと、ニッポン芸能史はいつだって《意味からの解放》を示してくれていた。

 

 ラメチャンタラギッチョンチョンデパイノパイノパイ
 パリコトパナナデフライフライフライ

 

 「東京節」詞:添田さつき 曲:Henry Clay Work "Marching Through Georgia"

 

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12月、日本銀行秋田市店にて偽千円札、見つかる。
以降、全国で343枚の偽札が発見される。
「チ-37事件」、走りつづけた高度経済成長ニッポンが、架空の石につまずき、すっ転んだ。

 


text by 緒川あいみ(れいたぬ)

*参考図書
本間建彦「高田渡と父・豊の『生活の柄』」(社会評論社

 

☆次回予告
第5回は、「」です。

 

(この連載は、ホームページに書いている「フォークソング・クロニクル」のはてなブログ版です。
この第4回は http://morinokaigi.chu.jp/f-chronicle/4_1961 のコピーです)