フォークソング・クロニクル

うたと文化の一万年史

第1回 1949年、サッチモ・ひばり・カンカン娘!高田渡うまれる!

マレビト。折口信夫が提示した、時空を超えて別次元の世界から訪れる霊的存在。

あるいは遊行者。定住できない社会的理由が夢の観念のもとに逆転していく。
どこから現れたのか、いったい何者なのか、知る必要はない。
フォークシンガー高田渡は、自らの存在が歴史に残ることより、歌のひと節が未来に口ずさまれることを理想とした。

 

 Though we're apart
 You're part of me still
 For you were my thrill
 On Blueberry Hill
 The wind…
 「Blueberry Hill」詞:Al Lewis 曲:Vincent Rose 唄:Louis Armstrong

 

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広島と長崎に原爆が落ちて第二次世界大戦が終わって3年半。
中国共産党が勢力を広げ、NATOが発足し、イスラエルが国連加盟国となり、朝鮮労働党が結成され、煙草の「しんせい」が発売された。
そしてキラキラ光る、穴のあいた5円玉が発行!
レコードみたいな、CDみたいな、輝く小銭!
戦後まもなくの日本を歌謡曲が元気づけていた。この年のヒットは、藤山一郎の「青い山脈」。

 雨にぬれてる 焼けあとの
 名も無い花も ふり仰ぐ
 青い山脈 かがやく嶺の
 なつかしさ
 見れば涙が またにじむ

 「青い山脈」詞:西条八十 曲:服部良一

 

1949年1月1日、高田渡はこの世に生を受けた。元旦うまれの月足らずの四男坊。
ゴータマ・ブッダがうまれたばかりで「天上天下唯我独尊」と言ったように、赤ん坊の高田渡も「どうもどうもいやどうも」と呟いたかどうかはわからない。
元旦うまれというのは、ほんとうは一日前の大晦日だったかもしれないし、もっと前だったかもしれない。

 どうもどうもいやどうも
 いつぞやいろいろこのたびはまた
 まあまあひとつまあひとつ
 そんなわけでなにぶんよろしく

 「ごあいさつ」詩:谷川俊太郎 曲:高田渡

 

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本間健彦氏の「高田渡と父・豊の『生活の柄』」には、高田渡のルーツが詳細に紐解かれている。
高田家はかつて材木屋として美濃の大震災の折りに財を成したが、渡の祖父の馬吉が星製薬の株と中津川の干拓に投資をし、失敗したという。
濃尾地震は1891年、10月28日の朝に発生した。規模は広く、数多くの死傷者が出た。倒壊家屋は14万2177戸といわれる。
この年、添田唖蝉坊は壮士演歌に出会ってはいるがまだ活動を始めてはおらず、オッペケペー節の川上音二郎は大阪で一座を旗揚げ、ミシシッピジョン・ハートはこの世に生を受ける一年前、レッドベリは2歳か3歳。
渡の父である高田豊は、若き日の東京での詩人時代を経ての実家暮らし。
かつては師匠、佐藤春夫のもとで山之口貘とも同門だったが、何か不手際を起こして破門になってしまう。
この1949年、昭和24年頃はさまざまな仕事を試みていた。壁紙売り、麻雀屋、パチンコ屋、そして山羊のミルクの生産販売業。
高田渡は山羊のミルクを飲んで育ったという。

 戦争終わったけど
 牛はいない 山羊はいた
 
 山羊のミルクは獣くさい
 オイラの願いは照れくさい

 「山羊のミルクは獣くさい オイラの願いは照れくさい」詞・曲:あがた森魚

 

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1949年、ルイ・アームストロングは「ブルーベリー・ヒル」という曲をリリース。まだ「ハロー・ドーリー」も「この素晴らしき世界」も生まれるずっと前。
「ブルーベリー・ヒル」は、のちにグレン・ミラー楽団やファッツ・ドミノがヒットさせた。つくったのはヴィンセント・ローズ。もともとは、1941年のジーン・オートリーが映画「The Singing Hill」の挿入歌として歌ったのが最初だ。
韻が(≒因果)踏まれていく。thrill, hill, still, until, playd, made. シンプルな、恋の終わりの物語。

物語が終わることは物語が始まること。
人は世界と重なり交わっていくことで、生まれたとき当然のこととして持っていた自己の存在価値を取り戻す。
天賦典式。この世に生まれ入ったことこそ大いなる才能とする。どんな物語の地平であっても、麿赤兒の言葉が脈打つ影をたずさえながら映写される。

 思いつきでもいいから
 腰を上げたほうがいい
 つかむものをつかんだら
 いますぐ出かけたほうがいい

 「たかが私にも」詞・曲:加川良

 

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ルイ・アームストロングの生まれ育ったニューオリンズはスラム街で、犯罪と貧乏ばかり。そして同時に音楽が溢れていた。
お祭りの狂騒の中、ピストルをぶっ放して少年院に入ったサッチモ。そこでコルネットと出会い、町の人気者になる。
ポップミュージックの王様として知られる彼は不眠症に悩まされ、ジャズマンらしくマリファナの常習者。タイマーズ!生涯を通じてマリファナ解放論者だった。
サッチモに始まり、素晴らしい魅力あるシンガーには、しゃがれ声の人が多い。二代目廣澤虎造、木村充揮友部正人桑田佳祐高田渡。まるで世界そのものを体現するように、声というものはブルーズをまとって風景を捉える。あるいは忌野清志郎は泣いているようにも怒っているようにも笑っているようにも聴こえるのだ。ちなみに添田唖蝉坊は、わりと澄んだ声だったという。

 ぼくは君を探しに来たんだ
 ぼくは海を離れ 山を越えやって来た
 話し上手の君にも会いたかったし
 ぼくのいない街で暮らしたかったから

 「ぼくは君を探しに来たんだ」詞・曲:友部正人

 

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高田渡は後年、ヒルトップストリングスバンドを引き連れ、「ヴァーボン・ストリート・ブルース」というアルバムをフォーライフから発売する。表題曲は唯一の随筆本のタイトルにもなった。バーボン・ストリートとはニューオリンズの通りである。
映画「タカダワタル的」に収録されている晩年の下北沢ザ・スズナリでのライヴを観てもわかるように、高田渡はジャズマンだ。
朴訥として痛烈、ポップでブルージーな彼の精神は、たぶんにジャズ的だ。バンドメンバーのソロ演奏を嬉しそうに見つめる。
同時に、大瀧詠一や鮎川誠に影響を与えたロックミュージシャンでもあり、語りと歌が渾然一体となっていくそのパフォーマンスは浪曲師のようでもあり、何より場の空気を掴んでしまう雰囲気は椅子に座ってはいるがスタンダップコメディアンである。
高田渡は日本文化の精神という器で、アメリカのフォークミュージックを受け取り、あたらしい歌の境地を醸造し、そのできあがった酒をコップに注いだ。
ブルーズは、悲しみを元気に歌った音楽だ。
宗教における信仰心と、民族の歴史の重たさと、そうしたコミュニティからサッチモは生まれたのだろう。
観阿弥世阿弥の昔から、芸能者たちはそのような状況と境遇の中で、あたらしいマボロシや価値観を示しつづけた。

 いくら歩いても
 いくら歩いても
 淋しい気持ちは変わらない
 ああ まっぴらさ

 「淋しい気持ちで」詞・曲:シバ

 

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しかしひとまずここは、東京外国語大学を除籍になった竹中労が「革命窃盗団」を結成し、富める者からモノを盗んでいた時代の断片。蔵物故買容疑での逮捕から釈放され、
日本共産党に復帰した1949年だ。

21歳の竹中労は、印刷工、記者、書店員、劇団、映画サークルと、あの手この手で人生を奔走していた。

芸能界では、笠置シヅ子の歌をうたう子供として川田晴久の一座で脚光を浴びた美空ひばりが、灰田勝彦のレビューに出演し、銀幕にも登場。
そして「河童ブギウギ」で、わずか12歳でレコードデビュー。
ずっとのちに、デビュー前の高田渡灰田勝彦と出会い、大切なことを教えてもらうが、それはまた別の話。
巷では、高峰秀子の「銀座カンカン娘」がヒットしていた。

 抜けるような空の下で おいら唄う
 ヴァーボン・ストリートのブルースを
 お前のために
 おいらいつかお前を見つけて
 一緒に唄うのさ
 ヴァーボン・ストリートのブルース

 「ヴァーボン・ストリート・ブルース」詞:高田渡 曲:Frank Assunto, Fred Assunto, Jac Assunto

 

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もうすぐ夜だ。雨も降りそうな予感。
歌の旅はずっとつづいている。
宇宙はいつだって胸の中にあった。
ハッピーバースデー、渡さん。
物語がはじまる!





text by 緒川あいみ(れいたぬ) 

http://morinokaigi.chu.jp

*参考図書 
高田渡「バーボン・ストリート・ブルース」(山と渓谷社) 
本間健彦高田渡と父・豊の『生活の柄』」(社会評論社) 
DVD「タカダワタル的」(アルタミラピクチャーズ) 
竹中労・別れの音楽会 1991年9月20日 川口リリアホール」パンフレット 



☆次回予告 
第2回は、「1957年、東京だョおっ母さん!高田渡8歳、東京へ!」です。

 

(この連載は、ホームページに書いている「フォークソング・クロニクル」のはてなブログ版です。
この第1回は http://morinokaigi.chu.jp/f-chronicle/1_1949 のコピーです)