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"Folksong Chronicle"
A面 track-2
東京だョおっ母さん / 島倉千代子(1957)

 

 

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「左翼こそ靖国に行け」と、平岡正明は云った。

今年の終戦記念日も、いつものようにタイムスリップしてきた軍人さんたちがぞろぞろり。
進軍ラッパがこの世の終わりを告げるかのように夏の空に鳴り響き、在特会ほかネトウヨ保守勢が自己のアイデンティティの補完のために英霊を利用している。
奉納された提灯の純粋な悼む気持ちは、遊就館の落とす影のなかで歪曲される。
その一筋縄ではいかない妖しい喧噪の中心に、表情を歪めた鈴木邦男がただ立ち尽くしている。
桜の下で会いましょう。靖国で待っております。
靖国の「靖」という漢字は、《安らかに》という意味である。
しかし、国は安らかになるどころか、ますます歴史を複雑化させ、人々の心を混乱させている。

 

「ベラボーだ!!」

1957年、岡本太郎がスキー場を滑降している。
46歳にして始めたスキー。雪が粉塵となってほとばしり、光の粒となる。

 

高田渡、8歳。母を喪くす。
孤高のアナキスト田豊は、渡さんとその三人の兄を連れて、岐阜の北方町を去った。
佐藤春夫門下での詩人修行をやめ、日本共産党の分裂に愛想を尽かし、人生のリセットボタンを押すかのごとく、残された息子たちと長い長い旅の始まり。
流れ着いたは、若き日に青春期を暮らした首都東京。貧乏に貧乏をかさねたような、どん底の暮らしが始まった。
高田家は住まいを転々とする。渋谷の道玄坂近くの旅館で数泊したのち、武蔵小山、下目黒、品川、練馬とアパートを替えていった。お金がなくなると引越しをするものだから、友達はなかなかできなかった。

 

想念の果てに、風景が見える。ここは日本かアメリカか、それとも。
時間の歪んだ街路を、乳母車を押したウディ・ガスリーが歩いている。腰には刀を差している。
子連れ狼だ!
見ると乳母車は乳母車ではなく、一個の巨大なタマゴである。
タマゴは音も立てずに割れて、中から四人の小さなウディ・ガスリーが現れ、整列する。
大きなガスリーが持っている刀もまた刀ではなく、それはギターであった。
しかし、それも判然とはしない。詩集かもしれないし、酒瓶かもしれない。
何より、彼らはウディ・ガスリーではないだろう。
土手のほうに、乳母車ではなくリヤカーを引いて奔走している恋と夢に明け暮れる若き詩人の姿が見えた。
それは子連れ狼の過去のまぼろしである。
「バカヤロー、あれは捨てた町だ」
そう言って子連れ狼は四人の息子とともに、再び道中を急いだ。
付け加えるべきは、その四人の息子たちの末っ子は、ガスリーでありながら紛れもなく、言い訳知らずの木枯らし紋次郎の冷めた目をしていたことである。

 

昭和32年。

金子光晴は自伝「詩人」を刊行。山之口貘はまだ沖縄に戻る以前だ。
紅顔の美青年、若き赤塚不二夫は、寺田ヒロヲや藤子不二雄石森章太郎らに励まされながら、貸本漫画家として苦しい修行時代を送っていた。
すでにトキワ荘を去った手塚治虫は、「鉄腕アトム」や「ぼくのそんごくう」でヒットを飛ばすと、大人漫画学習漫画、エッセイと活動の幅を広げていく。
三木鶏郎事務所でコントにCMソングと活躍していたのは野坂昭如で、当時のペンネームは阿木由紀夫であった
筒井康隆は「心的自動法を主とするシュール・リアリズムにおける創作心理の精神分析的批判」を卒論に同志社大学を出て、サラリーマンの傍ら、演劇活動を続けていた。
ゴーリキーの戯曲を黒澤明が江戸の長屋に舞台を置き換え、三船敏郎山田五十鈴、中村雁治郎、清川虹子藤原釜足左卜全といった面々が演じた「どん底」が公開されたのは、9月17日のことであった。

 

3月10日、19歳になる直前の島倉千代子が歌う「東京だョおっ母さん」がリリースされた。
作詞、野村俊夫。作曲、船村徹。リリースは3月10日。B面は「故郷のかおり」。
同期デビューの美空ひばりが歌う「波止場だよ、お父つぁん」のような曲をと島倉千代子が言って生まれた、東京と故郷が夢とうつつの中で重なり合う慈愛の歌だ。
「500 Mile」や「Country Road」からサザンオールスターズの「東京VICTORY」に至るまで、歌は《帰れないこと》を示し、それを過去現在未来を通じてやめることはない。
東京とは、物語を終わらせ、物語を始める場所なのだ。そこには絶望と希望とすべてがある。

 

「東京だョおっ母さん」の歌詞では、二重橋、九段下、浅草観音と巡っていく。
戦争で命を落とした《やさしい兄さん》は《桜の下(=靖国神社)》に祀られている。
焼け野原からの復興と、そして文明の発展は目まぐるしくも、しかし第二次世界大戦終結よりいまだ12年の月日しか経っていない。それなのに《新しい昭和》は速度を増していくばかりだ。l

 

島倉千代子は生涯、左腕が不自由であった。
7歳のときに井戸に水を汲みに行くときに大怪我をし、後年になっても少ししか動かすことができなかった。
切断は免れたが、その際の輸血が原因で、のちにC型肝炎を患うことになる。
小児麻痺の姉のほうが歌が上手だった。姉の分までがんばって、歌手になった。
ヒット曲は数あれど、島倉千代子もまた波乱万丈の苦悩多き生涯を送ることになる。
東京だョ、おっ母さん!
幼くして母を亡くし故郷を捨て東京に出てきた高田渡の、これから始まる長い長い人生と重なりゆく。
しかし、高田渡島倉千代子も、いま思い出すのは、その深く可愛らしい笑顔なのだった。

 

8月27日、午前5時23分。
茨城県東海村
原子炉は臨界点に達し、日本最初の「原子の火」が灯った。
それがどういうことなのか、この国に住まう人々が身をもって理解するのは、まだ先のことだった。

ただ、寂しい瞳で微笑んで歌う、島倉千代子の姿があったのみだ。

 

 

つづく