読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

うたと革命の一万年史「フォークソング・クロニクル」 A面 track-1 Blueberry Hill / Louis Armstrong(1949)

f:id:morinokaigi:20160820051227j:plain

"Folksong Chronicle"
A面 track-1
Blueberry Hill / Louis Armstrong(1949)

 

f:id:morinokaigi:20160820051314j:plain

幼い頃から吃音が強く、うまく言葉が話せなかった。
それは高田渡にとって、苦く悔しいコンプレックスだった。
のちにそんな彼を救ったものこそ、歌だった。
歌を歌うようになって、どもりは次第に治っていった。

 

広島と長崎に原爆が落ちて第二次世界大戦が終わって3年半。
中国共産党が勢力を広げ、NATOが発足し、イスラエル国連加盟国となり、朝鮮労働党が結成され、煙草の「しんせい」が発売された。
そしてキラキラ光る、穴のあいた5円玉が発行!
レコードみたいな、CDみたいな、輝く小銭!
戦後まもなくの日本を歌謡曲が元気づけていた。この年のヒットは藤山一郎の「青い山脈」。作詞は西条八十、作曲は服部良一

 

1949年1月1日、高田渡はこの世に生を受けた。元旦生まれの月足らずの子。
でもそれはほんとうは一日前の大晦日だったかもしれないし、もっと前だったかもしれない。
高田家はかつて材木屋として美濃の大震災の折りに財を成したが、渡さんのお祖父さんの高田馬吉さんが中津川の干拓に投資をし、財産はパーになった。
濃尾地震は1891年、明治24年の10月28日の朝に発生した。規模は広く、数多くの死傷者が出た。倒壊家屋は14万2177戸といわれる。

 

渡の父である高田豊さんは、若き日の東京時代を経ての実家暮らし。

かつては師匠、佐藤春夫のもとで山之口貘と同門だったが、何か不手際を起こして波紋になってしまう。
この1949年、昭和24年頃は、様々な仕事を試みていた。
壁紙売り、麻雀屋、パチンコ屋、そして山羊のミルクの生産販売業。
だから高田渡の育ての母親は山羊なのである。

 

「山羊のミルクは獣くさい!」(あがた森魚

 

明治24年といえば、添田唖蝉坊は壮士演歌に出会ってはいるがまだ活動を始めてはおらず、オッペケペー節の川上音二郎は大阪で一座を旗揚げ、ミシシッピジョン・ハートはこの世に生を受ける1年前、レッドベリは2歳か3歳。
渡さんが生まれた昭和24年はというと、唖蝉坊はその5年前に鬼籍に入り、息子の添田さつきは知道の本名で作家として活動、ウディ・ガスリーは多くの病気に蝕まれ苦しみ、ピート・シーガーにおいてはウィーバーズがアルマナック・シンガーズに再編される前夜だった。

 

この年、ルイ・アームストロングは「ブルーベリー・ヒル」という曲をリリースしている。まだ「ハロー・ドーリー」も「この素晴らしき世界」も生まれるずっと前。
「ブルーベリー・ヒル」はグレン・ミラー楽団やファッツ・ドミノのほうが有名だが、のちにこの曲をビルボード2位にまでヒットさせたファッツはサッチモを参考にしたと言われている。
作曲は、ヴィンセント・ローズ。元々は、1941年にジーン・オートリーが映画の挿入歌として歌ったのが最初である。
「thrill」「hill」「still」「until」、「playd」「made」と韻を踏んでいく。シンプルな、恋の終わりの物語。そして物語が終わることは物語が始まることだ。人は世界と重なり交わっていくことで、生まれたときは当然のことして持っていた自己の存在価値を取り戻す。


ルイ・アームストロングの生まれ育ったニューオリンズはスラム街で、犯罪と貧乏ばかりだった。そして同時に楽しい音楽で溢れていた。
子供のときにお祭りの狂騒の中、ピストルをぶっ放して少年院に入ったサッチモ。そこでコルネットと出会い、次第に町の人気者になる。
ポップミュージックの王様として知られる彼は、不眠症に悩まされ、マリファナの常習者だった。生涯を通じ、マリファナの解放を論じていた。


サッチモに始まり、素晴らしい魅力あるシンガーには、しゃがれ声の人が多い。二代目廣澤虎造、木村充揮友部正人桑田佳祐・・・そして高田渡。まるで世界そのもののように、声というものはブルーズをまとって風景を捉える。ちなみに添田唖蝉坊は、澄んだ声だったという。


高田渡は後年、「ヴァーボン・ストリート・ブルース」という歌を披露する。バーボン・ストリートはニューオリンズにある通りの名前である。
朴訥として痛烈、ポップでブルージーな彼のその精神は、たぶんにジャズ的であった。

 

ブルーズはほとんど悲しい音楽、そしてその悲しみを元気に歌ったものだから。
宗教における信仰心と、民族の歴史の重たさと、そうしたコミュニティからサッチモは生まれた。
古今東西、芸能者たちはそのような状況と境遇の中で、新しい娯楽や価値観を示しつづけた。

 

「いくら歩いてもいくら歩いても淋しい気持ちは変わらない」(シバ)

 

ルイジアナニューオリンズ、最も歴史のあるフレンチ・クォーターを横切るバーボン・ストリート。
時空を超えて、高田渡ルイ・アームストロングが並んで歩いている。
56歳の渡さんと、69歳のサッチモだ。二人とも元気でピンピンしてる。
通りの角から、83歳の五代目古今亭志ん生がひょいと現れる。やはり顔がつやつやしていて、若者のようだ。
サッチモが言う。
「あなたとワタルをどうして似てるという人がいるのかね?私はまったく似ていないと思うがね」
「高座で寝ちまったことがあるからかねぇ」と志ん生
「呑気なもんだ。私は不眠症でいつも眠れなかったっていうのに」
渡さんは何も言わない。ただ笑っている。
三人の幽霊たちは水色のベンチに腰掛け、珈琲を飲む。

その光景を、レコード店と古書店のあいだの中空に浮遊する半透明のタイムマシンから、私が見ていた。

もうすぐ夜だ。雨も降りそうな予感。
ずっと、歌の旅をしてきた。
宇宙はいつだって、胸の中にあった。

 

ふと銀河に目をやれば、いまがいつだか判然としない。私たちは悠久を生きている。
しかし、ひとまずずここは、竹中労日本共産党に入った2年後の1949年である。
共産党員が福島いわき警察署に「インターナショナル」を歌いながら乱入し、署内を破壊した平事件はこの年だ。
そして朝鮮戦争が勃発してしまう前年としての1949年。
その血と涙の悲しみの軍事特需で、日本は高度経済成長を遂げた。

 

1949年。
ハッピーバースデー、渡さん。
物語が始まる!

 

《つづく》

 

□ 参考図書
高田渡「バーボン・ストリート・ブルース」(山と渓谷社
本間建彦「高田渡と父・高田豊の『生活の柄』」(社会評論社
ラングストン・ヒューズ「ジャズの本」(晶文社

 

文責:緒川あいみ

 

ホームページ http://morinokaigi.chu.jp

twitter.com

 

 

※この文章は、ブログ「かざせ、たいまつ」、ホームページの特設ページ、はてなブログ電子書籍パブー、てづくり冊子、フリーペーパー「とびら」ほか、多岐に渡る媒体で連載していきます。