フォークソング・クロニクル

うたと文化の一万年史

第5回 1962年、て~なもんや!街道筋の藤田まこととニューヨークのボブ・ディラン

 雲と一緒に あの山越えて

 行けば街道は 日本晴れ
 おいら旅人 一本刀
 「お控えなさんせ」「お控えなすって」
 腕と度胸じゃ 負けないけれど
 なぜか女にゃ チョイと弱い

 

 「てなもんや三度笠」詞:香川登志緒 曲:林伊佐緒 唄:藤田まこと

 

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ジャニーズ事務所がつくられ、若乃花が引退し、リポビタンDが発売された。
ベトナム戦争の激化、高度経済成長のニッポンから戦闘機が飛んでいく。
秋にはキューバ危機であわや世界核戦争の瀬戸際。
昭和37年。
テレビでは、お笑いがしっかりコメディしていた。
澤田隆治の演出、香川登志緒の脚本。
素晴らしき時代劇喜劇がブラウン管にあらわれる。
あんかけの時次郎こと藤田まこと、珍念の白木みのるが、街道筋をドカドカ歩く。
当たり前田のクラッカー!
でもVTRがまだ高価だった時代で、映像は一部のみ残されている。
最高視聴率64.3%!
てなもんや三度笠」の放映終了後も、「てなもんや一本槍」「てなもんや二刀流」という続編があった。
映画はモノクロが2つ、カラーが3つ制作された。
ぼくはずっと前、シネマ下北沢で1963年上映の「てなもんや三度笠」を観ました。若い日のエキセントリックな財津一郎さんが印象的だった。

 

 ピアノ売ってちょうだい
 もっとも~っとタケモット
 (もっと)でんわしてちょうだい
 もっとも~っとタケモット

 

 「タケモトピアノの歌」詞:北川勝利 曲:谷本奈利絋 唄:財津一郎&タケモット

 

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藤田まことは映画俳優、藤間林太郎の息子としてうまれた。
進駐軍の靴磨き、映画俳優、司会者、歌手、そしてコメディアン。
てなもんや三度笠のあんかけの時次郎から、必殺シリーズ中村主水、はぐれ刑事の安浦刑事剣客商売の秋山小兵衛まで。
笑っていいとも!」のコーナーゲストに出演した際、タモリさんが「藤田さんはコメディアンの大先輩ですから」と紹介すると、顔を俯かせ、「コメディアンのなり損ないです」とおっしゃった。
あんかけの時次郎が渡世人として東海道を旅したように、藤田まことも戦後芸能史の旅をしたのだ。
藤田まことが芸能史の中で島田正吾勝新太郎中村敦夫とすれ違ったように、あんかけの時次郎も東海道国定忠治座頭市木枯し紋次郎とすれ違ったのだ。

 

 「おれたちゃナ、ご法度の裏街道を歩く渡世なんだぞ。
 いわば天下のきらわれもんだ…」

 

 およしなさいよ 無駄なこと
 いって聞かせて そのあとに
 音と匂いの 流れ斬り
 肩もさびしい 肩もさびしい

 

 「座頭市」詞:川内康範 曲:曽根幸明 唄:勝新太郎

 

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そしてテレビは世の中に普及されていく。
この年、日本のテレビ受信者が1000万人を超えた。
そして東京都の人口も1000万人を突破した。
サラリーマンではないクレージーキャッツが、高度経済成長を支えるサラリーマンの悲哀を歌と笑いに昇華する。
クレージーキャッツは、フロントマン植木等のソロ名義で「無責任一代男」「これが男の生きる道」をリリース。バンド名義では「ドント節」で、B面の「五万節」がヒットした。
そして「無責任一代男」のB面「ハイそれまでョ」もヒット、NHK紅白歌合戦に出演している。
映画は「ニッポン無責任時代」と「ニッポン無責任野郎」がスクリーンに掛けられた。
はてさて、21世紀もいくらかを過ぎ、世は責任と理屈の時代。
人々が自ら病気になろうとしているかのような、常識地獄が渦巻いている。
無責任さや非常識さに元気をもらうなんて、頭がおかしいと言われかねない。
しかし人間の脳はそんな数十年では変わらない。
考え過ぎないで素直に突き進む、これに勝る生き方はないのである。
謎のサラリーマン平均(たいらひとし)が東京タワーのてっぺんで笑ってる。

 

 おれはこの世で一番
 無責任と言われた男
 ガキの頃から調子よく
 楽してもうけるスタイル

 

 「無責任一代男」詞:青島幸男 曲:萩原哲晶 唄:植木等

 

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ミネソタうまれのロバートは歌ってた。
ニューヨークにやって来てコーヒーハウスで歌ってた。
3月19日、1枚目のアルバム「ボブ・ディラン」が発売された。
1曲目の「You're No Good(彼女はよくないよ)」は、ジェシー・フラーの曲。若林純夫がソロや武蔵野タンポポ団で歌ったサンフランシスコ湾ブルース」の原曲をつくった人だ。
そして、「Talkin' New York(ニューヨークを語る)」はトーキングブルース、「House of the Risin' Sun(朝日のあたる家)」でトラディショナルな歌の担い手となり、「See That My Grave Is Kept Clean(僕の墓をきれいにして)」は戦前のブルースマンであるブラインド・レモン・ジェファーソンの歌、
「Song to Woody(ウディに捧げる歌)」では敬愛する偉大なるフォークシンガーのウディ・ガスリーに詩を捧げる。
そうだ、ディランはフォークシンガーの末っ子だったんだ。
そしてウディは病院で療養している。
1940年代から度々の誤診の中で、闘病をつづけていた。
高田渡が憧れたゴッドファーザー・オブ・フォークソングは、1967年、永眠する。
ちょうど日本で独自のフォークシンガーたちがあらわれた頃だ。

 

 Hey, Woody Guthrie, but I know that you know
 All the things that I’m a-saying an a-many times more
 I’m a-singing you the song, but I can’t sing enough
 Because there’s not many men that done the things that you’ve done

 

 「Song to Woody」詞・曲:Bob Dylan 唄:Bob Dylan

 

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師はいつも、遠くにいる。
ぼくは高田渡さんが大好きで、三鷹に住んで、晩年という言葉は寂しいけれど、渡さんのさいごのほうのライブに通っていた。
ついにぼくは、いちばん尊敬する人に声はかけないままだった。
声をかける必要がなかったのかもしれない。
間近で見た渡さんの瞳の色はグレーで、どこか世界の深淵を見ているようだった。
彼にはどんなふうに、この世界が見えていたのだろう。
彼にはどんなふうに、出会う人たちの姿が映っていたのだろう。
加川良高田渡の本質を見事に語り歌っている。

 

 何がいいとか悪いとか そんなことじゃないんです
 たぶん僕は死ぬまで 彼になりきれないでしょうから
 ただその歯がゆさの中で 僕は信じるんです
 唄わないことが一番いいんだと 言える彼を

 

 「下宿屋」詞・曲:加川良 唄:加川良

 

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週刊少年サンデーで、赤塚不二夫の「おそ松くん」と「ひみつのアッコちゃん」が連載開始。
2001年に出版された対談集「バカは死んでもバカなのだ」で、唐十郎は赤塚にこう語り出す。
「いまのバーチャル空間は『おそ松くん』だと思います」
「『おそ松くん』はデジタル空間。アナログではない」
「壊れない世界でしょう。で、あそこからEメールが送られてくる」
しかし赤塚は、パソコンとかに一切興味を示さないのだった。

 


text by 緒川あいみ(れいたぬ)

*参考図書

 

☆次回予告
第6回は、「」です。

第4回 1961年、浄土真宗はジャズ!?クレージーキャッツと高度成長

 チョイと一杯のつもりで飲んで

 いつの間にやらハシゴ酒

 気がつきゃホームのベンチでゴロ寝

 これじゃ身体にいいわきゃないよ

 分かっちゃいるけどやめられねぇ

 

 「スーダラ節」詞:青島幸男 曲:萩原哲晶 唄:ハナ肇とクレージーキャッツ

 

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「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。
 しかるを世の人つねにいはく、
 『悪人なほ往生す、いかいいはんや善人をや』」

親鸞は、法然上人の説いた浄土往来の教えのさらに先へ辿り、より深く世界の真理を獲得していく。
それがのちに浄土真宗と呼ばれるようになるが、ところで浄土教キリスト教はよく似ている。
悪人正機と原罪。創造主と阿弥陀仏神の国と極楽浄土。
人間の力など大したことはない。他力本願。すべては神様、仏様の名において。
法然の家はユダヤからの移民である秦氏とされており、親鸞西本願寺に保存されていたキリスト教ネストリウス派の経典「世論布施論」を読んでいた。
一遍もまた秦氏であり、「南無阿弥陀仏」とさえ唱えれば誰でも極楽浄土へ行けるのだと説き、被差別階級の民を救済した。
さらに遡れば、空海最澄遣唐使として大陸に渡ったとき、景教と呼ばれていたキリスト教ネストリウス派の洗礼を受けたとされている。
もしかしてURC、音楽舎の秦政明も秦氏の末裔なのかもしれない。
日本列島がアジアの端に位置するのは、それなりの意味がある。
アジアで生まれ、醸成されるあらゆる文化が、陸を伝い、最後は日本海を超えてやって来る。そして島国特有の《多様な文化をごちゃまぜにしてさらに新しいものに変化させる》という錬金術のごとき文化の変革が、自然の流れの中で行われる。
宗教がそうならば、音楽もやはり同じで、古来よりアジアの恩恵に預かりながら、この国ではいろとりどりの歌がうまれてきた。
そして第二次世界大戦後は、多くのバンドやコメディアンが進駐軍のキャンプやジャズ喫茶で腕を磨いた。

 

 レディス&ジェントルメン
 おとっつぁん&おっかさん
 おこんばんは!

 

 「レディス&ジェントルメン」詞・曲:トニー谷 唄:トニー谷

 

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1955年にハナ肇キューバン・キャッツというバンドを結成し、それが翌年に「ハナ肇とクレージーキャッツ」と名を改めた。
バンドのフロントマンとなる植木等は、「萩原哲昌とデューク・オクテット」「植木等とニュー・サウンズ」「フランキー堺とシティ・スリッカーズ」を経て、クレージーキャッツに加入。当時はバンド間の移籍や引き抜きが非常に多かった。
リーダーはドラムスのハナ肇。そして、ボーカルとギターの植木等トロンボーン谷啓、ベースの犬塚弘、テナーサックスの安田伸、ピアノが石橋エータロー桜井センリ
植木等さんの実家は浄土真宗のお寺で、植木さん自身もバンドボーイになる前は修行にいそしみ、お父さんが警察に捕まったときはかわりに法衣をまとった。
父、植木徹誠は、浄土真宗大谷派の僧侶で、そして元々はキリスト教徒。さらに水平社などの部落解放運動に参加し、共産党員でもあった人だ。
ただの住職ではおさまらない、燃えるように生きた、行動の人だ。
1988年に鎌倉の円覚寺植木等が父についての講演をした際、その演題は「支離滅裂」というものだった。
キリスト教浄土真宗、部落解放運動、社会主義革命、義太夫語りへの夢、そして恋。
一般的な感覚で見たら、植木徹誠の思想と行動は支離滅裂なのかもしれない。けれど彼は本質的かつ実直なアクティビストだ。まるで高田渡の父、高田豊を想起させる。
小さな北鎌倉駅を下車してすぐ目の前にある、鎌倉五山二位の瑞鹿山円覚寺。かつて坐禅に敗北してうなだれた透明の夏目漱石も、時空を超えて。たのしく聴講したことだろう。

 

 古都を見下ろして 長谷へと下る
 旅路切り通しよ
 そこに行き交う
 "今生きる"も "今は亡き"人も
 遥かな時代(とき)を夢見て越えて
 訪れる砦

 

 「古の風吹く杜」詞・曲:桑田佳祐 唄:桑田佳祐

 

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金子光晴といい、第二次大戦中に戦争に反対した人たちに、凄まじい気骨とオリジナリティを感じる。
本間建彦さんの著作「高田渡と父・豊の『生活の柄』」によると、高田家三代が戦争から逃れようとしたことがわかる。
高田渡の祖父である高田馬吉も、西南戦争の折、ほかの家の養子となった。次男になれば徴兵を逃れられたからだ。しかしそこの家族と折り合いがつかず、高田家に戻ってきてしまい、結局、徴兵されてしまったというのは、何とも人間的で、渡さんのおじいさんらしいエピソードだ。
渡さんの父、高田豊も、第二次大戦の折、京都の出版社の弘文堂を退職し、財団法人日本海事新聞の編集局の校正主任となった。内閣情報局の管理下にあるところに勤めることで、戦場行きを免れた。
からして、高田渡がアイロニカルな「自衛隊に入ろう」で実質的なデビューを飾るのは必然だったのだろう。

 

 たばこを吸いながら 劣等生のこのぼくに
 すてきな話をしてくれた ちっとも先生らしくない

 ぼくの好きな先生
 ぼくの好きなおじさん

 

 「ぼくの好きな先生」詞:忌野清志郎 曲:肝沢幅一 唄:RCサクセション

 

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竹中労甲府刑務所収監、ルポライター事始めを経て、この1961年に日本共産党に再復党している。内部変革を狙ったためだ。
一方で、野村秋介は網走刑務所を出所、三上卓との知己を得て、憂国同志会を結成する。
映画館のスクリーンには今村昌平の「豚と軍艦」が描き出され、ブラウン管からは「シャボン玉ホリデー」の夢が展開されていた。
クレージーキャッツの面々は、まこと破廉恥なジャズマンでありコメディアンであるのに、満員電車に揺られて出勤するサラリーマンのふりをし、高度成長を支える全国の9時から5時の勤め人を、明るく軽薄に鼓舞した。
芸能が豊かに展開される時代は、政治も激しく展開される時代だった。
一方でナンセンスコメディの世界があって、一方でアナーキズム新右翼の火種がおこされた。
クレージーの初の大ヒット曲となる「スーダラ節」が発表される前に、生真面目な植木等は徹誠さんにその歌詞を見せ、相談した。「わかっちゃいるけどやめられない」というのが、み仏の教えに反しているのではないかと気になったのだ。しかし植木徹誠は歌詞を見るなり言う。
「これは真宗の教えそのものだ!」
おそるおそる「スーダラ節」を歌った息子に対し、涙を流して感動し、激励する。
親鸞は90歳まで生き、仏僧としてタブーであることを何でもやった。これでいいのだ!

 

 これでいいのだ これでいいのだ
 ボンボンバカボン バカボンボン
 天才一家だ バカボンボン

 

 「天才バカボン」詞:東京ムービー企画部 曲:渡辺岳夫 唄:アイドル・フォー

 

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深沢七郎の発表したブラックユーモア小説「風流夢譚」において、日本に革命が起き、天皇皇后や皇太子らが斬首させられるという箇所に、右翼少年が激怒した。
事件は2月1日。
小森一孝は、前年の浅沼稲次郎暗殺事件の犯人、山口二矢と同じく17歳の少年だった。しかも大日本愛国党をやめた直後の犯行というのも共通している。
しかし決定的に違うのは、一般人の命を奪ったことだ。小森は「風流夢譚」が掲載された中央公論社の社長、嶋中鵬二の自宅に押しかけた。だが当の社長は不在だったため慌て、奥さんを刺して重傷に、お手伝いさんを殺めてしまう。
だから山口は烈士として祀られても、小森は右翼史から半ば抹消される。
12ページのナンセンス小説だった。
右も左もユーモアをしばしば理解できない。
そして付け加えておくべきは、この「風流夢譚」を絶賛していたのは、山口二矢と同じように現在、烈士として称えられている三島由紀夫であるということだ。
そして自分が書いたものが原因で、人を死なせてしまった失意の深沢七郎は、しばらくの旅に出る。
逃亡と彷徨の旅路の中で、エルビス・プレスリーの声は遥か異国の奇妙な作家を元気づけていたのだろうか。

 

 Love me tender,
 Love me sweet,
 Never let me go.
 You have made my life complete,
 And I love you so.

 

 「Love me tender」詞:Ken Darvy 曲:George R. Poulton

 

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1961年8月20日。「スーダラ節」リリース。
当初は「こりゃシャクだった」がA面で「スーダラ節」はB面だったが、人気によって逆転した。青島幸男の歌詞が流れるように展開する。
詞と曲と唄と音、すべてのパフォーマンスが一体化していき、ショーは最高潮に達し、そうして一億人の人生の悲哀は報われる。笑いという最善の浄化をもって。
クレージーキャッツ添田唖蝉坊の系譜だ。洗練された強烈なユーモアで世間を風刺する。その唖蝉坊のまた異なる系譜としての高田渡がいて、一方で歌謡曲は華やかだし、GSもいて、何ともはや60年代は芸能歌舞音曲の異常事態である。
芸術と政治と宗教と風俗と、人間がつくり出すあらゆる事象が、カテゴライズされながらも交差し混ざり合うことが当然だった時代に、クレージーキャッツは背広を着たサラリーマンの姿をして異界から登場した。
ジャズで培われた音楽性と、ナンセンスの青島イズムと、浄土真宗がひとつになって、すべてをウソに、すべてをホントに、そしてそべてを無意味化する。コメディには、音楽には、これほどまでの力がある。
植木等の「等」の名は、すべての人は平等であるという、徹誠の意志と闘いのあらわれだった。

 

 通勤電車の中で 赤ん坊の笑いが走る
 誰も負けてしまうその流れ
 ぼくの前をゆらゆら
 負けんぞと笑いを投げても
 包まれ悲しくなって叫ぶ
 赤ん坊さんよ負けるなよ

 

 「赤ん坊さんよ負けるなよ」詞・曲:岩井宏 唄:岩井宏

 

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池田勇人中曽根康弘に「やっぱり日本も核を持たないとダメだね」と言った。
ケネディを暗殺したのはおそらくCIAだが、CIAは当時の岸内閣および池田内閣に秘密資金を送っており、日本政界工作を図っていた。
テレビのブラウン管では、初代林家三平が「どーも、すいません!」と手を額に当てて笑っていた。寄席では毎回、ストーリーがめくるめく逸脱する、徹底的なナンセンスを体現していた。
日米政府の数十年におよぶクダラナイ政治と、林家三平クレージーキャッツが魅せていた常識を突破する捉えようのないほどの力を示す笑い、どちらが人間の救いなのでありましょうか!?
21世紀もいくらかを過ぎたいま、世の中を嘆き、体制や権力に問題意識を掲げ、拳を高く上げる人は多い。じつに頼もしいことである。しかし同時に、ナンセンスもロックンロールもブルーズも理解されにくい、理屈と常識ばかりの窮屈な時代にもなっている。
と、こんな文面もまた、意味に縛られた戯れ言である。
唖蝉坊、クレージー、これでいいのだ、ハナモゲラサザンオールスターズと、ニッポン芸能史はいつだって《意味からの解放》を示してくれていた。

 

 ラメチャンタラギッチョンチョンデパイノパイノパイ
 パリコトパナナデフライフライフライ

 

 「東京節」詞:添田さつき 曲:Henry Clay Work "Marching Through Georgia"

 

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12月、日本銀行秋田市店にて偽千円札、見つかる。
以降、全国で343枚の偽札が発見される。
「チ-37事件」、走りつづけた高度経済成長ニッポンが、架空の石につまずき、すっ転んだ。

 


text by 緒川あいみ(れいたぬ)

*参考図書
本間建彦「高田渡と父・豊の『生活の柄』」(社会評論社

 

☆次回予告
第5回は、「」です。

 

(この連載は、ホームページに書いている「フォークソング・クロニクル」のはてなブログ版です。
この第4回は http://morinokaigi.chu.jp/f-chronicle/4_1961 のコピーです)

第3回 1960年、哀しみの60年安保!短刀持った山口二矢と新聞配った高田渡

 アカシアの雨にうたれて
 このまま死んでしまいたい
 夜が明ける 日がのぼる
 朝の光りのその中で
 冷たくなったわたしを見つけて
 あの人は
 涙を流してくれるでしょうか

 

 「アカシアの雨がやむとき」詞:水木かおる 曲:藤原秀行 唄:西田佐知子

 

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マメ科ネムノキ亜科のアカシアの花は、日本では関東より北では育たないという。
育たなかった、育てられなかった、咲いたけれども乱暴に踏みつくされ根絶やしにされた、その花がいっせいに雨のなかに散った夕暮れ。
長い年月が流れた。
1970年、「命はひとつ 人生は一回 だから命を捨てないようにね」と加川良が歌った。
1981年、「死ぬのは嫌だ、怖い。戦争反対!!」とコントをした。
2015年、「戦争したくなくてふるえる」と北海道の女の子たちがデモをした。
アカシアの花は、咲きつづけた。

 

 命はひとつ 人生は一回だから
 命を捨てないようにね
 あわてると ついふらふらと
 お国のためなのと言われるとね

 

 「教訓1」詞・曲:加川良 原詩:上野遼 唄:加川良

 

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1960年1月19日、ときの総理、岸信介と、アメリカ大統領アイゼンハワーによって、日米安保の新条約が締結。
同年5月19日、自民党強行採決によって翌日、衆院本会議を通過。
フィクサー児玉誉士夫の掌の上で、自民と右翼とヤクザと左翼と警察の大狂乱。
阿波徳島から八百八狸も、金色の雲に乗ってどろんどろんとあらわれて、上を下への大騒ぎ。
すわ妖怪大戦争かと日本中から百鬼夜行、戦前の小林多喜二幸徳秋水添田唖蝉坊の幽霊も登場だ。
しかし霊界の後方支援もありつつも、左翼の敗北、バタンキュー。
アメリカと日本の関係はいまも同じように続き、現在、岸信介の孫がさらに日本を戦争に近づけている。
ならば、単なる「アベ政治は許さない」なるフレーズでは済まされない、長期的かつ計画的な《悪政のブラックホール》が存在するということだ。
しかし街角の映画館のスクリーンには確かに、「座頭市」シリーズの前身である映画「不知火検校」が映写され、不敵な笑みを浮かべていた。
勝新太郎演じる、生き抜いていくエネルギーの充満した、強き二人。
不知火は悪人であり、市は善人である。
だがどちらにしろ、不知火検校にしろ、座頭市にしろ、60年安保のゴタゴタに巻き込まれたならそのときは、斬って斬って斬りまくるだろう。
「見当つけて、斬ってきな!」

 

 赤い夕日に さすらいながら
 死んだやつらに 子守唄

 

 どこで果てよと 誰が泣く
 知らぬ他国の 蝉がなく

 

 「座頭市子守唄」詞:いわせひろし 曲:曽根幸明 唄:勝新太郎

 

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そんな時代の騒乱をよそに、高田渡一家は何とか深川のアパートに落ち着いていた。
不知火や市がそうしたように、社会がどうであれ、個人は個人としてまず生き延びねばならない。練馬のアパートを出て行き、上野公園近くにあった進駐軍の兵舎、通称カマボコハウス跡を使ったシェルター施設を経て、辿り着いたのは深川の塩崎荘。
このアパートでは、四畳半の部屋を上下に分けて、二家族が暮らしていた。だから、基本的に立つことができない!
渡さんの父である高田豊さんはニコヨンになった。日雇い労働者だ。
小学生の渡さんも、紐に磁石をつけて道を歩いてくっついた金属品を売ったり、新聞配達をしたりした。

 

 僕のアダナを知っているかい
 朝刊太郎と云うんだぜ
 新聞くばってもう三月
 雨や嵐にゃ慣れたけど
 やっぱり夜明けは眠たいなア

 

 「新聞少年」詞:八反ふじを 曲:島津信男 唄:山田太郎

 

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ある配達の朝、山口二矢による社会党浅沼稲次郎刺殺の一面が強く印象に残った。
山口二矢は当時17歳、高田渡より6最年長だ。
赤尾敏大日本愛国党をやめた直後、10月12日、日比谷公会堂で演説する浅沼目掛けて、まるで隠密のごとく素早く壇上へ、そしてナイフで暗殺を決行した。
6月には、同じく社会党河上丈太郎がべつの右翼少年に襲撃されている。
逮捕された山口は、少年鑑別所の監獄で、歯磨き粉で《七生報国 天皇陛下万才》と書いて、自ら命を絶った。
日本の政治的テロルの最後の存在だったのかもしれない。
以降は、野村秋介のように相手を殺さない自決が主流となり、さらにはカルト宗教の妄信的テロルに変わっていく。
極左集団による爆弾テロは何度も起こったが、もはや社会やメディアの関心はそちらにはなく、人の命を奪って世の中を変えるという感覚は、時を経て世間にとって非常識なものでしかなくなった。
そしていまとなっては、思想も何もない、「相手は誰でもよかった」という通り魔やストーカー殺人ばかりになった。
それを「ゆとり世代」などと、上の世代が揶揄し冷笑するのは簡単だし愛がない。そのような言説をとる「団塊の世代」がいたら、優しくないな、と私はケイベツする。
時代が《政治の季節》から《個人の寂しさ》になぜ変わったのか、思いを巡らせる必要はあるだろう。

 

 この世に神様が 本当にいるなら
 あなたに抱かれて 私は死にたい
 ああ湖に 小舟がただひとつ
 やさしくやさしく くちづけしてね
 くり返す くり返す さざ波のように

 

 「愛のさざなみ」詞:なかにし礼 曲:浜口庫之助 唄:島倉千代子

 

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ある日、ガキ大将に怪我をさせられ、渡さんは怒って椅子を振り上げた。そして二人は友達になった。
彼の家に招かれると、そこは在日朝鮮人の集落だった。
渡さんは、貧しく差別されながらも明るく生きる在日コリアンたちの生き様を、しっかりと見た。そうやって高田渡という人物はできていったのだろう。
ああニヒルで達観した高田渡と高田豊には、学生たちの60年安保闘争の騒乱も、山口二矢浅沼稲次郎暗殺事件も、冷めた目で見るしかなかったかもしれない。
いや、11歳の少年にそれは言い過ぎかしら。

 

 我が家でチゲ肴にワイン
 キムチの味 オモニのサイン
 (かっこいいじゃん)そうかい
 (なつかしいじゃん)まあね
 なぜだか故郷みたいさ

 

 「LOVE KOREA」詞・曲:桑田佳祐 唄:サザンオールスターズ

 

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日本各地に反安保の運動はひろがり、6月15日にその盛り上がりは頂点に達した。
渡さんのお兄さんたちはデモに行き、渡さんと豊さんは部屋でラジオを聞いていた。お兄さんたちは帰って来なかった。
18日になって渡さんは父の手に引かれ、デモを《見学》に行った。参加ではなく、見学である。
後年、ライヴで高田渡は「あー、やってるな、って父親と見に行った」と話しているが、自伝「バーボン・ストリート・ブルース」では、「とにかく歩き、わけもわからず叫んだ」と記されている。こちらのほうがリアルだ。
親子は手をつないで塩崎荘に帰った。兄たちは翌朝、戻ってきた。

 

 安保法案 アンポンタン
 違憲の意見を聞きもせず
 今すぐ何かがあるじゃなし
 そんなに急いで何処行くの

 

 平和・平和で 今日まで生きてきた
 他国がうらやむ 平和な国だもの
 安保法案 お前はアウト!だよ~

 

 「安保法案・アウト!」詞:さいたまんぞう 曲:南雲修治 唄:さいたまんぞう

 

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読売アンデパンダン展」で出会った赤瀬川原平、篠原有司男、そしてのちに三鷹天命反転住宅などをつくる荒川修作らが、ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズを結成し、既成の芸術の破壊、《反芸術》を次々と目論んだ。
それは東京都美術館爆破計画にまで行き着く勢いだった。
極左の爆弾テロじゃない。アーティストたちによる美術館テロだ。
実行しなかったとはいえ、インパクトがすごい。
やはり、アートを忘れた政治よりも、政治を取り戻したアートのほうが強固である。

 

 まわる まわるよ 僕らを乗せながら
 まわる まわるよ 地球はメリーゴーランド
 哀しみ歓びすべて乗せてゆくよ
 明日も愉しくまわるよ

 

 「地球はメリーゴーランド」詞:山上路夫 曲:日高富明 唄:GARO

 

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錆びついた鉛みたいな風が吹き抜ける東京のあちこちで、西田佐知子の歌う「アカシアの雨がやむとき」が流れていた。
その歌は、安保闘争に疲弊した学生たちの心境と重なり、支持された。
アメリカではピート・シーガーらによって、「We Shall Overcome(勝利を我らに)」が歌われていたというのに、日本では戦に敗れたあと。
そして闘いは疲弊ののちに何度も繰り返された。70年安保、2015年安保。
その未来をまるで「知ってるつもり?」(by 関口宏)なのか、西田佐知子は「アカシアの雨がやむとき」を歌い、大衆に一時的にカタルシスを与えた。
しかし、11歳の高田渡はすでに知っていたかもしれない。
雨が降ろうが止もうが、空は空であることを。
「このまま死んでしまいたい」なんて感傷的な言葉は、当時の高田渡にどう聴こえたのだろうか。

 

 死んだはずだよ お富さん
 生きていたとは お釈迦さまでも
 知らぬ仏のお富さん
 エーサオー 源冶店(げんやだな)

 「お富さん」詞:山崎正 曲:渡久地政信 唄:春日八郎

 

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安保闘争の中、国会正門前で死亡した樺美智子の葬儀集会に、のちに高田渡と懇意となる詩人、金子光晴の姿があったという。
「アカシアの雨がやむとき」のB面の「夜霧のテレビ塔」は、時空を超えて、赤、青、と点滅し、小さき者たちの死を悼む。
東京タワーは、戦後の瓦礫と戦車を溶かした鉄でつくられた供養塔だ。
そして竹中労は、安保闘争の裏通り。
芸能人、皇族、死者とあらゆる人物の手記をひたすら代作していた。

 


text by 緒川あいみ(れいたぬ)

*参考図書
高田渡「バーボン・ストリート・ブルース」(山と渓谷社

 

☆次回予告
第4回は、「1961年、浄土真宗はジャズ!?クレージーキャッツと高度成長」です。

 

(この連載は、ホームページに書いている「フォークソング・クロニクル」のはてなブログ版です。
この第3回は http://morinokaigi.chu.jp/f-chronicle/3_1960 のコピーです)

第2回 1957年、東京だョおっ母さん!高田渡8歳、東京へ!

 やさしかった兄さんが
 田舎の話をききたいと
 桜の下でさぞかし待つだろ
 おっ母さん あれが あれが九段坂
 逢ったら泣くでしょ 兄さんが

 

 「東京だョおっ母さん」詞:野村俊夫 曲:船村徹 唄:島倉千代子

 

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「左翼こそ靖国へ行け」と、平岡正明は云った。「昭和ジャズ喫茶伝説」の一文だ。
終戦記念日靖国神社は、タイムスリップしてきた軍人さんたちがぞろぞろり。
進軍ラッパがこの世の終わりを告げるかのように真夏の空に鳴り響き、名前を持たない奴らが自己のアイデンティティの補完のために英霊を利用する。
奉納された提灯に宿る純粋な悼む気持ちは、遊就館の落とす影のなかで歪曲される。
その一筋縄ではいかない怪しい喧騒の中心に、表情を歪めた鈴木邦男が立ち尽くしている。
桜の下で会いましょう。靖国で待っております。
靖国の「靖」という字は、《安らかに》という意味である。
しかし、国は安らかになるどころか、ますます歴史を複雑化させ、民の心を混乱させている。

 東の空が燃えてるぜ
 大砲の弾が破裂してるぜ
 お前は殺しのできる年
 でも選挙権もまだ持たされちゃいねえ

 「明日なき世界」詞:Barri Steve 曲:Sloan Philip Gary 訳:忌野清志郎

 

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「ベラボーだ!」
1957年、岡本太郎が雪原を滑降している。
46歳にして初めたスキー。雪が粉塵となってほとばしり、光の粒となる。
日本トロッキスト聯盟第四インターナショナル日本支部が結成された正月だって、TAROの爆発は何も関係がない。
この年、岡本太郎は「二つの顔」という絵画作品を残している。
誰にでも複数の顔がある。
だが、動いていくその一歩は、ひとつきりだ。人生は選択なんだ。

 

 鳥の野郎 どいていな
 とんびの間抜けめ 気をつけろ
 癪なこの世の カンシャク玉だ
 ダイナマイトがヨ ダイナマイトが百五十屯

 

 「ダイナマイトが百五十屯」詞:関沢新一 曲:船村徹

 

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高田渡、8歳。母を喪くす。
孤高のアナキスト田豊は、渡さんとその兄たちを連れて、岐阜の北方町を去った。
流れ着いたは若き日を過ごした首都東京。貧乏に貧乏をかさねたような、どん底の暮らしが始まった。
高田家は住まいを転々とする。渋谷の道玄坂近くの旅館で数泊したのち、武蔵小山、下目黒、品川、練馬とアパートを替えていった。
乳母車を押したウディ・ガスリーが都市を彷徨う。
腰の刀は、詩集かもしれないし、酒瓶かもしれない。
土手のほうに、乳母車ではなくリヤカーを引いて奔走している、恋と夢に明け暮れる若き詩人の姿が見えた。
それはアナキスト子連れ狼の過去のまぼろしである。
「バカヤロー、あれは捨てた町だ」
そう吐き捨てて、息子たちとともに再び道中を急ぐ。
付け加えるべきは、末っ子が、ちびガスリーでありながら紛れもなく、言い訳知らずの木枯し紋次郎の冷めた目をしていたことである。

 

 くもは焼け 道は乾き
 陽はいつまでも 沈まない
 こころはむかし死んだ
 ほほえみには会ったこともない
 きのうなんか知らない
 きょうは旅をひとり

 

 「だれかが風のなかで」詞:和田夏十 曲:小室等

 

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3月10日、19歳になる直前の島倉千代子が歌う「東京だョおっ母さん」が日本コロムビアから発売された。
作詞、野村俊夫。作曲、船村徹。B面は「故郷のかほり」。
少し先輩の美空ひばりが歌う「波止場だょ、お父つぁん」のような曲をと島倉千代子が望んで誕生した、東京と故郷が夢とうつつの中でかさなり合う慈愛の歌だ。
へディ・ウェストの「500 Miles」やジョン・デンバーの「Take Me Home, Country Roads」から、サザンオールスターズの「東京VICTORY」に至るまで、歌は《帰れないこと》を示し、それを過去現在未来を通じてやめることはない。
東京とは、物語を終わらせ、物語を始める場所なのだ。そこには絶望と希望とすべてがある。東京ワッショイだ。

 

 いい時は最高 悪い時は最低
 いつでもどっちかさ
 だから嘘はつかない いい奴さ
 今日は気分はどうだい 東京(ワッショイ)

 

 「東京ワッショイ」詞・曲:遠藤賢司

 

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「東京だョおっ母さん」の歌詞では、二重橋、九段下、浅草観音と巡っていく。
戦争で命を落とした《やさしい兄さん》は《桜の下(=靖国神社)》に祀られている。
焼け野原からの復興と、そして文明の発展は目まぐるしくも、しかし第二次世界大戦終結よりいまだ12年の月日しか経っていない。それなのに《新しい昭和》は速度を増していくばかりだ。
7歳のときに井戸に水を汲みにいき、後年まで左腕が不自由だった島倉千代子
小児麻痺の姉のぶんまでがんばって、歌手になった。
東京だョ、おっ母さん!
幼くして母を喪くし東京に出てきた高田渡の、これから始まる長い長い人生と重なりゆく。
しかし、高田渡島倉千代子も、いま思い出すのは、その深く可愛らしい、それでいて寂しさをたたえた笑顔なのだった。

 

「房子が外国へ行くとき、わたしは『戻るな』と言った。
 どこへ何をしに行くのか知っていたわけではない。
 だが革命家というのはいつも、大きな流れの中で寂しくてきびしい思いをする」

 

塩見孝也逮捕後に中東の地へ旅立った重信房子
その房子に、父親である重信末夫が雑誌のインタビューで語った言葉だ。重信末夫は、井上日召が指揮した戦前の暗殺右翼集団「血盟団」の関係者だった。
父は「娘は右翼です」と言った。命をかけて世の中を変えようとする娘は右翼なんだと言う。
また同じく血盟団出身の小沼正は、「日本精神は左翼だ」と語る。弱者を救うために闘うことは左翼精神なんだと言う。
右も左も、辿り着くのは澄み渡る青空だ。

 

 悲しいだろう みんな同じさ
 同じ夜をむかえてる
 風の中を一人歩けば
 枯葉が肩をささやくョ

 

 どうしてだろう このむなしさは
 誰かに逢えばしずまるかい
 こうして空を見上げていると
 行きていることさえむなしいョ

 

 「どうしてこんなに悲しいんだろう」詞・曲:吉田拓郎

 

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8月27日、午前5時23分。茨城県東海村
原子炉は臨界点に達し、日本最初の「原子の火」が灯った。
それがどういうことなのか、この国に住まう人々が身をもって理解するのは、まだ先のことだった。
12月、第四インターナショナルは、革命的共産主義者同盟に改称。新左翼の火も燃えはじめた。
東京だョおっ母さん。
有楽町で逢いましょう
あまから横丁に、小金馬、貞鳳、猫八の影が伸びる。

 

 アハハ ウフフ
 エヘヘのオホホでアハハのハ
 僕らはお笑い三人組

 

 「お笑い三人組」詞:名和清郎 曲:土橋啓二

 


text by 緒川あいみ(れいたぬ)

*参考図書
高田渡「バーボン・ストリート・ブルース」(山と渓谷社
本間健彦高田渡と父・豊の『生活の柄』」(社会評論社
「日本の右翼と左翼」(宝島社)
鈴木邦男「証言・昭和維新運動」(島津書房)

 

☆次回予告
第3回は、「1960年、哀しみの60年安保!短刀持った山口二矢と新聞配った高田渡」です。

 

(この連載は、ホームページに書いている「フォークソング・クロニクル」のはてなブログ版です。
この第2回は http://morinokaigi.chu.jp/f-chronicle/2_1957 のコピーです)

 

第1回 1949年、サッチモ・ひばり・カンカン娘!高田渡うまれる!

マレビト。折口信夫が提示した、時空を超えて別次元の世界から訪れる霊的存在。

あるいは遊行者。定住できない社会的理由が夢の観念のもとに逆転していく。
どこから現れたのか、いったい何者なのか、知る必要はない。
フォークシンガー高田渡は、自らの存在が歴史に残ることより、歌のひと節が未来に口ずさまれることを理想とした。

 

 Though we're apart
 You're part of me still
 For you were my thrill
 On Blueberry Hill
 The wind…
 「Blueberry Hill」詞:Al Lewis 曲:Vincent Rose 唄:Louis Armstrong

 

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広島と長崎に原爆が落ちて第二次世界大戦が終わって3年半。
中国共産党が勢力を広げ、NATOが発足し、イスラエルが国連加盟国となり、朝鮮労働党が結成され、煙草の「しんせい」が発売された。
そしてキラキラ光る、穴のあいた5円玉が発行!
レコードみたいな、CDみたいな、輝く小銭!
戦後まもなくの日本を歌謡曲が元気づけていた。この年のヒットは、藤山一郎の「青い山脈」。

 雨にぬれてる 焼けあとの
 名も無い花も ふり仰ぐ
 青い山脈 かがやく嶺の
 なつかしさ
 見れば涙が またにじむ

 「青い山脈」詞:西条八十 曲:服部良一

 

1949年1月1日、高田渡はこの世に生を受けた。元旦うまれの月足らずの四男坊。
ゴータマ・ブッダがうまれたばかりで「天上天下唯我独尊」と言ったように、赤ん坊の高田渡も「どうもどうもいやどうも」と呟いたかどうかはわからない。
元旦うまれというのは、ほんとうは一日前の大晦日だったかもしれないし、もっと前だったかもしれない。

 どうもどうもいやどうも
 いつぞやいろいろこのたびはまた
 まあまあひとつまあひとつ
 そんなわけでなにぶんよろしく

 「ごあいさつ」詩:谷川俊太郎 曲:高田渡

 

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本間健彦氏の「高田渡と父・豊の『生活の柄』」には、高田渡のルーツが詳細に紐解かれている。
高田家はかつて材木屋として美濃の大震災の折りに財を成したが、渡の祖父の馬吉が星製薬の株と中津川の干拓に投資をし、失敗したという。
濃尾地震は1891年、10月28日の朝に発生した。規模は広く、数多くの死傷者が出た。倒壊家屋は14万2177戸といわれる。
この年、添田唖蝉坊は壮士演歌に出会ってはいるがまだ活動を始めてはおらず、オッペケペー節の川上音二郎は大阪で一座を旗揚げ、ミシシッピジョン・ハートはこの世に生を受ける一年前、レッドベリは2歳か3歳。
渡の父である高田豊は、若き日の東京での詩人時代を経ての実家暮らし。
かつては師匠、佐藤春夫のもとで山之口貘とも同門だったが、何か不手際を起こして破門になってしまう。
この1949年、昭和24年頃はさまざまな仕事を試みていた。壁紙売り、麻雀屋、パチンコ屋、そして山羊のミルクの生産販売業。
高田渡は山羊のミルクを飲んで育ったという。

 戦争終わったけど
 牛はいない 山羊はいた
 
 山羊のミルクは獣くさい
 オイラの願いは照れくさい

 「山羊のミルクは獣くさい オイラの願いは照れくさい」詞・曲:あがた森魚

 

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1949年、ルイ・アームストロングは「ブルーベリー・ヒル」という曲をリリース。まだ「ハロー・ドーリー」も「この素晴らしき世界」も生まれるずっと前。
「ブルーベリー・ヒル」は、のちにグレン・ミラー楽団やファッツ・ドミノがヒットさせた。つくったのはヴィンセント・ローズ。もともとは、1941年のジーン・オートリーが映画「The Singing Hill」の挿入歌として歌ったのが最初だ。
韻が(≒因果)踏まれていく。thrill, hill, still, until, playd, made. シンプルな、恋の終わりの物語。

物語が終わることは物語が始まること。
人は世界と重なり交わっていくことで、生まれたとき当然のこととして持っていた自己の存在価値を取り戻す。
天賦典式。この世に生まれ入ったことこそ大いなる才能とする。どんな物語の地平であっても、麿赤兒の言葉が脈打つ影をたずさえながら映写される。

 思いつきでもいいから
 腰を上げたほうがいい
 つかむものをつかんだら
 いますぐ出かけたほうがいい

 「たかが私にも」詞・曲:加川良

 

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ルイ・アームストロングの生まれ育ったニューオリンズはスラム街で、犯罪と貧乏ばかり。そして同時に音楽が溢れていた。
お祭りの狂騒の中、ピストルをぶっ放して少年院に入ったサッチモ。そこでコルネットと出会い、町の人気者になる。
ポップミュージックの王様として知られる彼は不眠症に悩まされ、ジャズマンらしくマリファナの常習者。タイマーズ!生涯を通じてマリファナ解放論者だった。
サッチモに始まり、素晴らしい魅力あるシンガーには、しゃがれ声の人が多い。二代目廣澤虎造、木村充揮友部正人桑田佳祐高田渡。まるで世界そのものを体現するように、声というものはブルーズをまとって風景を捉える。あるいは忌野清志郎は泣いているようにも怒っているようにも笑っているようにも聴こえるのだ。ちなみに添田唖蝉坊は、わりと澄んだ声だったという。

 ぼくは君を探しに来たんだ
 ぼくは海を離れ 山を越えやって来た
 話し上手の君にも会いたかったし
 ぼくのいない街で暮らしたかったから

 「ぼくは君を探しに来たんだ」詞・曲:友部正人

 

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高田渡は後年、ヒルトップストリングスバンドを引き連れ、「ヴァーボン・ストリート・ブルース」というアルバムをフォーライフから発売する。表題曲は唯一の随筆本のタイトルにもなった。バーボン・ストリートとはニューオリンズの通りである。
映画「タカダワタル的」に収録されている晩年の下北沢ザ・スズナリでのライヴを観てもわかるように、高田渡はジャズマンだ。
朴訥として痛烈、ポップでブルージーな彼の精神は、たぶんにジャズ的だ。バンドメンバーのソロ演奏を嬉しそうに見つめる。
同時に、大瀧詠一や鮎川誠に影響を与えたロックミュージシャンでもあり、語りと歌が渾然一体となっていくそのパフォーマンスは浪曲師のようでもあり、何より場の空気を掴んでしまう雰囲気は椅子に座ってはいるがスタンダップコメディアンである。
高田渡は日本文化の精神という器で、アメリカのフォークミュージックを受け取り、あたらしい歌の境地を醸造し、そのできあがった酒をコップに注いだ。
ブルーズは、悲しみを元気に歌った音楽だ。
宗教における信仰心と、民族の歴史の重たさと、そうしたコミュニティからサッチモは生まれたのだろう。
観阿弥世阿弥の昔から、芸能者たちはそのような状況と境遇の中で、あたらしいマボロシや価値観を示しつづけた。

 いくら歩いても
 いくら歩いても
 淋しい気持ちは変わらない
 ああ まっぴらさ

 「淋しい気持ちで」詞・曲:シバ

 

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しかしひとまずここは、東京外国語大学を除籍になった竹中労が「革命窃盗団」を結成し、富める者からモノを盗んでいた時代の断片。蔵物故買容疑での逮捕から釈放され、
日本共産党に復帰した1949年だ。

21歳の竹中労は、印刷工、記者、書店員、劇団、映画サークルと、あの手この手で人生を奔走していた。

芸能界では、笠置シヅ子の歌をうたう子供として川田晴久の一座で脚光を浴びた美空ひばりが、灰田勝彦のレビューに出演し、銀幕にも登場。
そして「河童ブギウギ」で、わずか12歳でレコードデビュー。
ずっとのちに、デビュー前の高田渡灰田勝彦と出会い、大切なことを教えてもらうが、それはまた別の話。
巷では、高峰秀子の「銀座カンカン娘」がヒットしていた。

 抜けるような空の下で おいら唄う
 ヴァーボン・ストリートのブルースを
 お前のために
 おいらいつかお前を見つけて
 一緒に唄うのさ
 ヴァーボン・ストリートのブルース

 「ヴァーボン・ストリート・ブルース」詞:高田渡 曲:Frank Assunto, Fred Assunto, Jac Assunto

 

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もうすぐ夜だ。雨も降りそうな予感。
歌の旅はずっとつづいている。
宇宙はいつだって胸の中にあった。
ハッピーバースデー、渡さん。
物語がはじまる!





text by 緒川あいみ(れいたぬ) 

http://morinokaigi.chu.jp

*参考図書 
高田渡「バーボン・ストリート・ブルース」(山と渓谷社) 
本間健彦高田渡と父・豊の『生活の柄』」(社会評論社) 
DVD「タカダワタル的」(アルタミラピクチャーズ) 
竹中労・別れの音楽会 1991年9月20日 川口リリアホール」パンフレット 



☆次回予告 
第2回は、「1957年、東京だョおっ母さん!高田渡8歳、東京へ!」です。

 

(この連載は、ホームページに書いている「フォークソング・クロニクル」のはてなブログ版です。
この第1回は http://morinokaigi.chu.jp/f-chronicle/1_1949 のコピーです)